突然ですが、
もしあなたが小さな子供に
「チョコレートってどんなもの?」
って聞かれたら、なんて答えますか?
もしあなたが小さな子供に
「チョコレートってどんなもの?」
って聞かれたら、なんて答えますか?
いろんな答えがあると思いますが、
多くの人が
「甘いものだよ
」
多くの人が
「甘いものだよ


と言うんじゃないでしょうか。
逆にこの時、
「辛くなくて、しょっぱくなくて…
」
「辛くなくて、しょっぱくなくて…

って言う人、います?
どんなものか分かんないですよね。
どんなものか分かんないですよね。
つまり、「どんなもの」か説明する時って、
そのものが持っている、長けている特徴…
いわば「特長」を言うのが自然なんです。
そのものが持っている、長けている特徴…
いわば「特長」を言うのが自然なんです。
が!
いざ自分のこととなると、
何故かこの「ないもの」に目を向けちゃう人、
多いの ではないでしょうか。
(私もついやっちゃいます)
何故かこの「ないもの」に目を向けちゃう人、
多いの ではないでしょうか。
(私もついやっちゃいます)
「たいして頭も良くないし、
美人というわけでもないし…
」
美人というわけでもないし…


ってやつです。
チョコレートの説明と比べてみてください。
これ、むしろ不自然じゃないですか?
これ、むしろ不自然じゃないですか?
こうして、人は自分で自分を
「特長のない、よく分からないもの」
にしちゃいがちなのです。
図にすると、「特長」はこういうもの。
この飛び出ているものを言えばいいんです

更に大事なことをもうひとつ!
この時、
「いやいや、甘いって言っても
角砂糖とかもっと甘いものあるんで!
チョコくらいで甘いなんてそんな…
」
「いやいや、甘いって言っても
角砂糖とかもっと甘いものあるんで!
チョコくらいで甘いなんてそんな…


って思う人、います??
いやいや 、甘いもんは甘いから!
そこ比べることないから!ですよね。
そこ比べることないから!ですよね。
でも、これも「自分」のこととなると、
「その特長がもっと強い人」と比べて、
自分なんてまだまだ全然…
「その特長がもっと強い人」と比べて、
自分なんてまだまだ全然…
と思ってしまいませんか?
「私はこんな人」と言う時に、
比較なんてしなくていいんです。
比較なんてしなくていいんです。
その上で、
愛すべき、愛されるべき自分の特長を
もっともっと強化したいと思ったら、
伸ばしていけばいい

愛すべき、愛されるべき自分の特長を
もっともっと強化したいと思ったら、
伸ばしていけばいい

