こんにちは。Work & Life Coaching★SHIHOです。
ちょっと変な体験をすることができました。
おそらく一生に一度くらいしか経験できないことだと思います。
すみません、どこにいったら経験できるよ、というご案内も特にできません。
仲間が「一度やってみたかった、生前葬を執り行いたい」といってできたものです。(文脈が意味わからなくてすみませんっ)
私、お葬式について「想い」があるんです。
いや、こういうこというのタブー的じゃないですか。
でも、自分らしい死のあり方ってもっとあるんじゃないかなと思っていて。
結婚式とか、生み方とかバースプランとか流行もあって、それぞれあるじゃない?
祖母の葬儀に出た時になーんか違和感があって。。宗教観を強く持たない日本人なのに、死ぬ時だけ●●教とか違和感、、、ないですか?
私、死んだ人の役をやるの初めてでした。(当たり前か!)
「ご家族や親しい方々より、故人(死んでないけど)にお一言お声をかけてあげてください。」
みんな嘘だとわかっているけれど
私に声をかけてくれる。結構真剣に。涙まで流してくれた人もいる。(ウソでしょ!?)
笑いをこらえるのに必死ではあったけど、これは結構すごい経験だなと思っていて。
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要は、「自分の死ぬ瞬間を具体的にイメージできますか?」
という問い。
それは、「どんな生を生き切りたいですか?」
という問いでもある。
幸いにも、この嘘っこ生前葬に参列してくれた友人達は、私が死んだ時にも本当に列席してほしいそのまんまの自分を見せている人達だった。
私の功績や印象を語ってくれるのだけど、勿論ホントじゃないから60-70%くらいなわけで。
これって私の人生が反映されるのね!
ということに気づきました。
もちろんどれだけの人が来てくれるか。
偲んでくれるか。人数よりも、どれだけ愛した人に囲まれるか。愛した人の心に何を残せるのか。命への認知。
結構、強烈だよ。
中途半端な人生、ただ長くて家族が死を待ち望む人生か
短くても「生ききった!」と言える人生か。
お葬式はその人の"最後の授業"だって聞いたことがある。
なんて言って貰えるかじゃなくて
何を残せるのか。
これは、みんな経験した方がいい!!
「あ、自分まだまだだなー」「今死んだらこのくらいか」それは、強烈なインパクト。
普通は自分が死んでるから、その場にはいられないわけだけど、もし魂がその部屋の上の方から、その現場を目撃していたら、結構凹むと思うよー。ああ、もうみなさん忙しいのにすいません、、、みたいな。
自分の生き方の鏡がその場で起こることなんだとしたら、むしろ中途半端に閉じることさえできないっっ。