もしこの世に鏡がなかったら、どんな世界だと思いますか?

生まれたての赤ちゃんは
鏡の存在が分かりません。
数年して、やっとあれが自分であることを認識します。
自我が目覚める頃には、他人と比べます。
いつのまにか、他人からどうみられるかばかりを気にして、自分の外面を固めます。
そうしているうちに、
自分は何者で
本当はどうしたい人なのか
分からなくなってしまいます。
セッションでは
何が行われているのか。
それは、愚痴聞きでも
教会の懺悔室でもありません。
なぜお金を払ってコーチをつけるのか。
心の中を紡ぐように言語化していくと
コーチの身体や言葉を通じて
鏡のように自分を映し出すことができるのです。
あぁうまく言葉にできてなかったけれど自分はこんな感じのところにいるんだ、と。
それが分からないのに、
どうしよう(how to)ばかり探し求めているときは、まさしくもがいているけれど、空回りしている時。
自分のココロの中は
自分が一番よく知っているという
大きな間違い。
勿論知っていることも多くあるけれど、
自分の中の小さな声や
直感に従った声などは
べき論にかき消されていることも
多いのです。
コーチ自身もそうです。
だから私もコーチをつけるし
他のコーチもコーチをつける。
すごく特別なことじゃなくて普通に。
そんな世の中はもうきています。
心に突き刺さるダヴのCM
ご覧になった方も多いのではないでしょうか。毎日鏡を見ていたって、こんなに自分の認識って確かじゃない。