続きましたWK-Pでございます。<(_ _)>

 

 

生についてのお話いかがでしたでしょうか?

人が生きるとは、死からの逃亡、死への恐怖がもとになって活動している。

 

誰もがいずれ死を迎え、逃れられない運命であることを理解しています。

生は尊きもの、命は素晴らしくかけがえのない大切なもの。

だから今ある生を大切にしようと説く方もいらっしゃると思います。

死ぬくらいならなんだってできるはずだ、と。

世間の常識としては、そうなのでしょう。

 

ただ他にも別の視点、考えもあってもいいのかな?と。

死が、恐怖の対象で、愛とか喜びの対極にある感情、マイナスでネガティブなものだと決めつけるのもいかがなものかと。(別に生を軽んじてるわけではないですよねー

 

生まれた瞬間を探そうとすればするほど、生まれた瞬間もなく、自分という存在が不思議になっていきませんか?

 

では逆に死を見つめてみましょう。

 

死とは、生命体が活動を停止する瞬間です。これは目に見えてわかります。命の誕生のようにどこからが始まりなのか、境界線があやふやなわけではありません。明らかに終わりがあるのように見えますし、思えます。

 

人が死を恐れるのは、自分が消える、なくなる、と思うからです。

自分というアイデンティティ、存在がなくなることを恐れているのです。

 

ところが、スピでは、その自分がいないことに気づきなさい、そうすれば楽になれると説きます。

 

矛盾してますよね。死を、自分の消失を恐れているのに、自分がいないことを求めるだなんてショボーン

それでも今に窮屈を感じては、早く楽になりたい、早く幸せになりたいと妄想を膨らませるんです。
もし自分がいなくなれば、いったいどんな感じなんだろうか?

まるで映画を見るように人生が繰り広げられるんだろうか?

夜中に寝てる(-_-)zzzときみる夢(自分という登場人物がいない夢をみることありません?キョロキョロ)のごとく世界が広がるのか?

明晰夢(夢だと自覚してる夢)のように、まるで神が如く自由な人生を送れるのだろうか?

 

あ~早く自分いない状態になりたい、はやく悟りたい、覚醒したい。

 

ここでよくある勘違いなんですが、
スピでいうところの自分とは、
あなたの存在そのものを指しているわけではありません。

 

人生の主役で、身体や行動それらすべてをコントロールできると思っている自分のことを指しています。

いろいろ浮かぶ感情、思考さえもその自分に付随してるだけで、本当の自分ではないと。

それらを所有し、思い通りに生きてると勘違いしてるだけなのだと。

ただあまりにも普通に、当たり前に皆それが自分だと勘違いしてるから、そのことに疑問さえ感じず、日常を過ごしているのです。

 

次回続きます。<(_ _)>

 

 

 

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