2014年2月に開催されたソチオリンピック。

振り返ってみますと、日本人選手では初出場の羽生結弦選手のみが金メダルを獲得し、また世界的には東日本大震災で被災した選手ということで、大きく注目を浴びた記憶はいまだ鮮明に残っています。

 

2012年夏。

羽生選手が故郷の仙台からカナダ・トロントへ練習拠点を移し、ブライン・オーサーの指導を受け始めたのは、なんとソチ五輪の前シーズンのことでした。

 

そして、迎えた2013-14シーズン。

グランプリシリーズでは、カナダ、フランスともにパトリック・チャンに次ぐ2位。

しかし、後で思うと、この2回続けての銀メダル獲得ということが、功を奏したとしか思えません。

羽生選手は世界ランキング1位として、福岡で開催されたグランプリファイナルでは、ショートで歴代最高得点を更新し、フリーで自己ベストの大幅更新で初優勝!

当時、五輪金メダル候補のパトリックに、大きなプレッシャーがのしかかったことでしょう。

その後の全日本選手権で二連覇し、羽生選手はソチ五輪代表に初選出されました。

 

いよいよ、2014年2月。

フィギュアスケート競技では、本大会から新種目としてスタートした団体戦が先に開催されました。

そこで羽生選手は男子シングルのショートに出場。プルシェンコを抑えて1位となりました。結果的に日本代表は5位に留まりましたが、個人戦より先に五輪の本番を経験できたことは、大きな収穫だったことでしょう。

 

2月13日(現地時間)に始まった男子シングルのショート。

羽生選手は101.45点をマーク、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し、堂々の首位に立ちました。

しかし、翌14日のフリーでは、二度の転倒もあり本人の納得がいくような演技ができず、自己ベストには程遠い178.64点。それでも、ショート2位だったパトリックも着氷ミスが続いてしまったため、羽生選手は男子シングルにおいてアジア人初の金メダルを獲得しました。

 

印象的だったのは、金メダル獲得直後のインタビューで

オリンピックで金メダルを獲って言うのも何ですけど、ちょっと悔しいと思います」という羽生選手の言葉。

負けず嫌いな彼らしいコメントです。

 

そして、もうひとつ。

表彰後のインタビューで、ある記者から東日本大震災についての質問を受けた際、

金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。自分には何もできていないんだという無力感がある。でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています」と、羽生選手は回答しています。

この震災に対しての思いと、金メダリストになっても謙虚さを忘れないのも、羽生選手らしい一場面です。

 

(読売新聞社東北総局前に掲示されていた号外)

(仙台市役所)

(宮城県庁内)

 

 

その後の日本でのフィーバーぶりといったら・・・

 

 

そして、2014年4月26日。

仙台はとても良いお天気に恵まれました。

羽生選手の凱旋パレードには、約92,000人が駆けつけました。

もちろん私のそのうちの一人として、パレードカーの先回りをして、数ヶ所で羽生選手に「おめでとう」「ありがとう」の気持ちを届けました。

 

パレード前には「どうか、仙台、宮城、被災地を忘れないでほしい」と挨拶した羽生選手。

その精神がいまだに続いていることは言うまでもないでしょう。

 

 

(パレード直後に配布された朝日新聞の号外)

 

(パレード費用のための記念Tシャツが販売)