昨日のつつきからです。

私が予備校に通っていた当時お世話になった英語の先生からニュージーランドへ語学留学を薦められ、私も日本から離れて誰も知らない場所で自分の人生を振り返りたいと考えて時期だったので、語学留学の話を即答で受け入れました。

その頃の私は、受験に失敗したことや将来への希望が持てず悲観的で、うつ病になって精神科に通院する状況までなっていて、自分に自信がなく人目を避けるように引きこもりのような状態になっていました。

そんな状況から、いきなりニュージーランドへ語学留学をすることは普通考えられねいことだと誰もが思うのですが、その時の私は、なぜか無性にニュージーランドに行きたい。海外で自分を見つめ直したい。そんな衝動に駆られて、ニュージーランドに行くことに不思議と一切の迷いも躊躇もまったくありませんでした。

ニュージーランドに留学すると決めた日から数日後にはアルバイトを見つけて働き出して、新聞配達や居酒屋でのアルバイトを掛け持ちで一心不乱に毎日働いていました。

結果的に4ヶ月で30万円以上お金の貯金ができてました。

ニュージーランドの語学学校とホームステイの手続きに関しては、予備校でお世話になった英語の先生に一緒に手続きを手伝ってもらいました。

翌年雪の舞う1月の半ばにニュージーランドへ一人旅立っていきました。

ニュージーランドまでは福岡空港からシンガポール航空でシンガポールまで5時間ほどのフライトをしてシンガポール空港で3時間乗り継ぎで待ってシンガポール空港からニュージーランドへ更に8時間のフライトで合計13時間のフライト経てようやくニュージーランドの南の島の首都クライストチャーチに着きました。

空港ではホストファミリーが私を出迎えてくれました。

英語で簡単な挨拶や自己紹介をしながすぐ車に乗ってホストファミリーの家に無事について
ファミリーから大歓迎されました。

自分専用に個室が用意されていて、自分の時間も確保できるように配慮がされていました。

荷物を整理して一息ついた頃、夕食の準備ができたと声が聞こえてきて、キッチンへ行ってご馳走をみんなで祝って食べました。

続きはまた明日へ。
前回の話の続きを書いていきます。

定時制高校に入学した当初は90名ほどいた同期の仲間が4年間の間に仕事や人間関係や家庭環境の影響で4年間を無事に終えて卒業する頃には、40名ほどに減っていていかに大変な環境で勉強と仕事の両立をさせながら卒業していくかはかなり強い意思や精神的にも肉体的にも強くないと最後までやり通すことは困難である。

いいいかえれば、4年間過ぎて自分のなかでやり遂げる力と達成感と自信につながりました。

しかし、定時制高校で仕事をしながら学校に通って勉強し続けることは容易ではない。

私も何度も仕事と勉強の両立は自分にはむづかしくて学校を辞めようと何回も考えていました。

それで、遅刻が増えて卒業して進学に関しての内申書が凄く出来が悪く、進学受験すらまともに受験できるレベルの勉強がまるで出来ていませんでした。

それで結局大学中学の予備校に通って勉強したが、結局どこにも受からず自分に会わない。

大学受験に失敗して自分の将氏に対して希望やビジョンが描けなくて来に対しての不安というより

完全な人生に悲観的で絶望感で無気力状態になっていました。

そんなときに、予備校でお世話になった英語の先生からの紹介でニュージーランドへ語学留学をすることになった。

続きは次回へ
前回からの続きを書いていきます。

私が中学校、高校と不登校を繰り返し、高校1年の夏休みが終わり2学期が始まる頃には高校を休むようになり、結果的にそのまま家に引きこもるようになりました。

それから2年間家に引きこもり誰とも会話もせず、ただひたすら布団にもぐりこんで過ごしてい、あした。

毎日が生きているのか死んでいるのか分からない将来に希望もなく死ぬことだけを考えながら生きていました。

2年の月日が流れ引きこもっていた私の元に中学の恩師が訪ねて来るようになりました。

毎日のように恩師は私の家に訪ねてきては私の部屋のまえでいつもいろんな話しをして少しでも私との接点を作ろうと努力していました。

その恩師の姿勢に、いつしか私も心を開いて話をするようになりました。

その恩師の紹介で、北九州にある津屋崎病院を紹介され、その病院に1年間入院をしながら心のケアをしていきました。

津屋崎病院は、当時NHKからも取材を受けたり、武田鉄矢の金八先生の最初の頃のロケ現場にもなって、全国的に有名な思春期外来として当時話題になった病院でした。

その病院で下は13歳から上は33歳までの不登校児を中心とした男女合わせて40名ほどの若者が全国からその病人に入院して心のケアを受けていました。

その病院では毎週1回ドクターと入院しているみんなでディスカッションしたり、行動療法で散歩やソフトボールやバレーボールなどのスポーツも定期的に開催さて任意で参加をするようになっていました。

1年間の入院生活を通じて、自分と似た境遇の不登校の体験をしている仲間と一緒にお互いの悩みや苦しみを話し合ったりしていくうちに、俺だけが苦しんでいるんじゃないんだ。
みんな似たような苦しみや悩みを抱えていることを仲間を通して客観的に見れるようになってきたとき、自分も同じ悩みや苦しみが客観的に見れるようになっていきました。

そうして自分の心の葛藤や苦しみは癒されてきて、次第に再び勉強をして大学を目指したいと考えるようになりました。

私は、1年間の入院生活を終えて退院してから熊本に帰って、地元の定時制高校に入学をして4年間昼は郵便配達の仕事をしながら、夕方6時から定時制高校でとる9時まで毎日勉強して大学進学を目指すようになった。

続きは次回へ