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親に感謝していることは、

 

生まれてから家を出るまで、

ごはんと布団とお風呂が毎日あったということ、

 

やりたいといえば(すぐいやになってしまったのだが)習字もそろばんもオルガン教室もリコー・マイティーチャー(というものが40年くらいまえはあって、訪問販売のセールスマンがやってきたものです)もやらせてくれたこと。

 

ああ、むだなお金を使わせてほんとうに申し訳ない、いまでも思い出すと頭をかきむしりたくなるくらい自分がいやです。

 

天火(ガスコンロの上に載せてつかうガスオーブン)も買ってくれたなあ。1か月毎晩ほしいほしいと泣いていたら買ってくれたんだったなあ。

 

あまりリッチなうちではなかったのだが、なぜか、そういうところでは気前よく財布を出してくれたのだった。おかげで5年生から憧れの「しょうが入りクッキー」も「スポンジケーキ」も焼けるようになったよ。ありがとう。

 

感謝していないことというか、なんで?ということの方がじつは多いのだが、

 

ごはんと布団とお風呂を毎日提供してくれてありがとう、と思ったけど、

たべられないものが食卓に上がった日は絶食だったなあ。たべられなかったもの…おしるこのおもちがすいとんになってやつ。アズキバットというんですってね。花巻あたりでは。

 

でも私の家では「ひっつみ」とも「ハット」とも言っていなくて、「すいとん」だったので…。なんでだろう?伊達藩エリアだからか?

 

そんでもって、ハットとかひっつみはすいとんよりもっと、ひらひらして薄い感じなんです。しかしうちのすいとんはなんだろう、お団子の伸ばしたようなものというか、厚みがあって、硬くて中心が生だったりする。はっきりいってまずいのである。

 

そのうえ、私は甘い夕ご飯というのがきらいだった。

 

ええ、アズキのすいとんの夕ご飯ではしょっぱいものはないんです。ごはんもなんにもない!

ゲゲゲのげ!と叫びたいくらいのものである。

 

ということで、小豆のすいとんが出たら絶食だ。漬物くらいはたべたかも。漬物はずーっと食卓に出ているのでいつも酸味がつよかった。

 

また私は生卵やとろろ汁といった、ずるずるじゅるじゅるしたものが死ぬほどきらいで、

ほかのひとが食べているのを見てさえ、吐き気がするほどなのだった。

冬になると父も弟も玉子かけごはんに走るので、私は朝ぬきになることが多かった。

 

というような不平不満はあったにしても、そのわりには背も高く、骨格も立派に育ったので、

充分以上にたべさせてもらっていたのである。

 

そういう子にありがちなことだが、いつもおなかが空いていたので、たべても全然咎められない、海苔と煮干しが私のエモノだった。

 

学校から帰ると残りごはんでおにぎりをつくってたべ、残りごはんがなければ煮干しをたべた。

飼い猫がいたので、猫と煮干しをたべていると、

うさぎとメロンの皮をしゃぶっている「にんじん」の気持ちがよくわかった…わけはないが、牛乳は学校でしか飲まないわりに背が高くなったのは煮干しのおかげかもしれませんな。プリン体が多い食品だけど、子どもだったもんね。

 

父はクルマ好きで、若いころからクルマを持っていたのだが(大工という仕事柄と言うわけでもないと思う。バイクで通っている大工さんも多かった)、

 

そのクルマの上でトランポリンみたいにぴょんぴょんやって、たぶん、

クルマのトップをでこぼこにしたと思うのだが、それも叱られなかった。

 

子どもらしい、馬鹿げた悪戯は怒られることはなかったなあと思う。

 

つまらないことで子どもを揶揄って喜ぶ幼稚なところのある父だったが、

仕事には真面目で休みなく働いてくれたおかげで、学費の心配もごはんの心配もしたことがなかった。

 

今思っても申し訳ないのは、中三のイライラ期になにを思ったか、こんな古い家厭だ!と言いだして、結局、家を建て替えさせてしまったことだ。まあ、ボロ家だったので、いずれ建て替えなければいけなかったと思うんだが…。

 

弟はそんなことを言ったことはなかったので、

私だけがいろいろ買わせて、やりたいことをやらせてもらって、しかしいつもケンカしていたので申し訳ない。

 

よく言われることだが、息子を育てているといろんな場面で親たちのことが思い出される。

 

私は今思えばだが、アレルギー体質だったと思う。皮膚が乾燥していつも痒かった。

喉が弱く、季節の変わり目には夜寝ているときに咳が出た。

 

しかし、両親はなんでも買ってくれたような気がする割には、

背中を痒がる私をからかい(今思っても腹が立つ)、

咳をしていたねえ~と冷やかすように言って病院につれていかない(今思っても不気味な反応である)、

 

右目が外斜位の私が首を傾けてものを見るといっては笑ったり、首をぐいっとひねったりした。

知識がなかったからとはいえ、自分ではどうすることもできない眼疾をそのようにされていたことに、眼鏡店につとめてはじめて知って、いまさらながらの怒りが…当時は実家に同居していたのだが、言っても理解できる親たちではないので、責めることもできないのである。

 

親には申し訳ない、と思うくらいいろいろ与えてもらった。

しかし、なんで?といまだに腹が立つようなこともいろいろあった。

 

そういうことすべてをひっくるめて、

親には育ててもらって、ありがたかったと思っている。


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