サンタの正体に気付いた時の気持ち ブログネタ:サンタの正体に気付いた時の気持ち 参加中
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このての話題になると、ふーん、という顔になるのをいかんともしがたい。


私はサンタクロースという耳慣れない(1960年代半ばの田舎の保育園ではそんなものだ)言葉を聴いたのと、サンタクロースはいない、と教えられたのが同時だったのだ。

保育園の女の子はみんなお姉さんぶるのがだいすきである。

ちょっと年上(といっても最年長でも6歳なんだけど!)の女の子は立派にお母さんのコピーであって、その意地悪もおせっかい焼きも、優しさも、すべてお母さんが透けて見える。

ちょっと年上の4、5歳の女の子が私や、そのまわりにいた子に、サンタクロースなんていないんだよ、あれはお父さんが枕元にプレゼントを置いていくだけなんだから、赤ちゃんだけだよ、サンタさんがいるなんて信じているのは。

うちにはもともとサンタさんは来ていなかった。
なぜなら煙突が狭くて、始終雀が巣をかけては蒸し焼きになって落ちてくるような代物だったからだ。ちなみに板金工だった祖父がつくった煙突だった。雀がバタバタやる音は、風呂に入っていても聞こえて、カワイソーと思うわけではなくて、


またか!

であった。

そんな細い煤だらけの煙突を人が降りてくるのか?

降りてきたってそこは風呂の焚口なんですけど。


というわけでサンタさんはいないというのは自明の理である。
クリスマスプレゼントは家族がプレゼントしあうものだと思っていた。

小学生になって、『若草物語』を読んでも、クリスマスにサンタさんはやってこないわけで、
姉妹は自分にそれぞれ贈り物をしようといいあって、その話だけでしあわせな気持ちに浸るのである。


サンタクロースがいるとずっと思っているのって、そんなにしあわせなことなんでしょうか。


自分がそういう環境じゃなかったからか、いつまでも子どもの夢を壊さないように努力しつづけるパパとママという存在が、むしろ不気味に思えてしまうんですが。






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