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アイーナにて、

いわて男女共同参画センター主催の、

東日本大震災の記録とメッセージ、
2部の「あなたに助かってほしいから
講師:大船渡津波伝承館館長 齊藤賢治さん

に参加してきました。


会議室のように机と椅子が並んでいるのかと思っていたのですが、おそらく、1部ではディスカッションなどもあったのか、丸いテーブルに自由につく方式。

おかげで齊藤さんのお話を近くで伺うことができました。

最初に津波の映像を11分流した後、大津波のこと、その時目にしたもの、助かったひとと助からなかったひと、

日頃から家族と話しておくこと、

東日本大震災のあとのライフラインの途絶えた中での生活など、

1時間半の講演はユーモアを交えて、災害の悲惨な現実だけではなく、

津波で死亡した人たちのうち、逃げ遅れたひとが40%、逃げている途中だったひとが9%、家に戻ったひとが9%という数字から、

70%のひとは助かることができた命であり、この数字を伝承館で津波を伝えて行くことで下げたい、とおっしゃっていました。

当時、さいとう製菓の工場は高台にあり、ビデオでその津波を撮って、貴重な記録を残した齊藤さん。

ビデオには齊藤さんの、「逃げろ」「あぁ~」「戻してくれ」というナマの言葉が入ったまま、その時の、これは撮っておかなくてはいけない、という気持ちがつよく、

従業員の方に避難のために引っ張られても全然気付いていなかったとか。

映像のなかには、津波がそこまできているのに、振り返ったり、立ち止まっていたりするひとが捉えられていました。津波の経験のない若い人たちは、大したことはないだろうと考えて、逃げ遅れてしまった。

齊藤さんは津波を経験したことのあるお父さんから子供の頃からその体験を聞いていて、

昭和35年のチリ大地震津波のときも、両親によってすぐに逃げることができたという体験もあったのでした。


逃げる時にひとはいつものルートで逃げようとしてしまうけれど、そのルートは海に向かうルートだったので、

家まで10kmを4時間かけて帰ったそうです。

自分だけは大丈夫、自分だけは事故らない、という恒常性バイアスが命を奪ってしまうことのおそろしさ。

ライフラインが切れた時に、一日に必要な最低限の水はひとり2リットル。それを備蓄しておくこと。

また、いざとなったら頼れるのは自分だけなのだから、メンテナンスや修理の知識もあった方がいいと。

大船渡の伝承館を作ろうと思ったきっかけは、2011年11月に東京から、アーティストやエンターティメントのひとたちが大勢やってきたときに、大津波の記録を見せたところ、これを解説して伝えて行く仕事をやったらどうか、と言われ、

2012年3月に周りの人たちからの力で伝承館を建てようと決めた、ということでした。

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あっというまの1時間半でしたが、

震災の記録を伝えること、聞くこと、そういう場を設けること、

大切な活動だと思いました。