『裸の大将一代記 山下清の見た夢』 小沢信男 筑摩書房
作者の小沢信男さんは山下清にほれ込んで書いているんだなーというのが
伝わってきて爽やかな読後感でした。
山下清の「ヨーロッパぶらりぶらり」に登場する、式場先生(式場隆三郎)が
67歳で亡くなった時の清の、
「先生は六十七で死んだな、ちょうどいいな」というのが彼の送別の言葉だった」(式場俊三 「清残影」)
という言葉を引用して、清の「人情の湿り気もからっぽの清ならではの知己の言かもsれなかった」
と記しているのが、深いなあと思った。
春鳥会から発刊された「特異児童作品集」にタイアップで行われた、
「特異児童作品展」
いまだったらその名前はいかがなものか、とほうぼうからクレームが来そうだなあ。
アウトサイダー芸術とかアール・ブリュット展の魁でしょうか。
清の貼り絵がもちろん、一番注目を集めるのですが、ほかの児童の作品にも
作者は光を当てています。
この作品展について、「みづゑ」(春鳥会の刊行元)では座談会が開かれ、
認める派 認めない派があって興味深かった。
認めない派の代表は谷川徹三。純粋の最高の芸術じゃない、と。入知恵ならぬ、なんらかの
「入れ絵」があったのではないかと言う。小林秀夫も認めない派。
認める派は梅原龍三郎と藤島武二。谷川徹三があの絵を部屋に掛けたいとは思わない、
というと、自分は掛けたいなあ、楽しいじゃないですか、と語る。なんとなくわかるな(笑)。
私も掛けたい派だなー。
いろんなひとが、山下清の文章は読みやすいように句読点が入れられ、
センテンスに分けられているけれど、原文がいちばん魅力があってそのまま
読みたい、と書いているけれど、
このカバー折り返しの原文を見てほんとうにそうだと思った。
これは放浪癖のある清が、
一年くらいルンペンしたらルンペンの癖がなおるのではないだろうか、
とぬけぬけとルンペン宣言をしている文章。
読みにくいから手を入れた、ということなのだろうけれど、
家系的にみんな字がへたくそな家に育った私には、
(弟と息子の字があまりに似ていて下手くそなので血はおそろしい)
書きなれている人の字だなあ~と感じる。
山下清と深沢七郎の出現ぶりが似ている、とこの章で指摘し、
本書の終わり近くで深沢七郎と山下清の対談を引用していて、
それも興味深かった。
作者の小沢信男さんは昭和2年生まれだけど、山下清の文章も行動力も、
貼り絵も、みんなおもしろい、いい、と思っているのが伝わってくるせいか、
もっと若い人の書いた文章のように思えた。