気がつくと手足のしびれにばっかり意識がいっている。
これがイクナイ。
病は気から、
というのは言葉はシンプルだが奥が深い。
手足のしびれはどうしようもなく現実だが、
頭がわるくなった、
ように感じるのは感じているだけかも。
てか、
もともとこの程度だったんじゃ、
と認めてしまえばいいじゃんね。
思えば子どもの頃の方がもっとすごかった。
いまではさすがに当時のような豪快な忘れ物はやりたくてもできない。
忘れっぽいのはいまに始まったことじゃない。
記憶力が弱いのも昔からです。
なにを勘違いしておるのか。
たしかに最近お箸の持ち方というか、ごはんがぽろぽろ落ちてつかみにくいが、
もともと、
「お箸の上の方までご飯粒をくっつける」(元夫談)
とあきれられていた人間ではないですか。いやそれは自分でも恥ずかしいことだと思って
なんどか治そうと思ったんですが、当時からお箸の操り方は不格好だったに違いないよ。
中指はちゃんとお箸の間にはいる持ち方で、まさかこの年代でにぎり箸はしないが、
でもいいじゃんべつに。不器用だったり箸の持ち方なんかどうでもいいじゃ、というひとはいくらでもいるし。
気にするな、ってことで。
足が始終つったような感じになるのが不快だが、歩けないほどでもないし、走る気になれば走れるんだし。
んー。
そう、筋肉や神経があきらかにふだんと違うのは認めるにしても、
いきなりクライシスってほどでもないと思われる。
ミトコンドリア脳筋症と診断されたとしても、気の持ちようでカヴァーできる部分はけっこう大きい、ような気がしてきました。
影におびえるのはやめたい。
(といってもすぐには切り替えられないかもしれないが)
もう体力に自信がないし、どうしよう、と思っていたけれど、
やっぱり日曜日、仙台に行くだ。
FTAもWTOもコールドチェーンもセーフガードもネガティブリストも農業基本法も、
うろ覚え状態ですが、
行ってみよーと思います。