声を失くして得たもの。 | 菅原初代オフィシャルブログ「魔女菅原のブログ」

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この2,3日、まったく声が出なかったときはもちろん、


声がすこしは出るようになっても、できるだけ、



「声がでません」



と書いた手帖のページを開いて、相手に察してもらうという

生活をしておりましたー。



ま、調子に乗ってガラガラ、というより、ハスキーすぎるくらいハスキーな

声で話してしまったりもしたんですが。


最初に、手帖を見せるとあとはこちらがうなずいたり、ゆびさしたりでも、


応対に労わりの感じが漂うんですが、



声がうまく出せないでいるときの、相手の訝しがるような顔は胸が痛くなりましたあせる



困ったのは、電車の中で、


たとえば、


「すみません、ちょっと通してください」


といいながら、通りたい時。




…声って、ありがたい道具だったんだなーと思いました。


帰りのJALでは、私が手帖をみせて、


「ゆず」(相変わらず機内はこれー音譜


をもらっているのをみた隣の男性が、


CAがゴミ袋をもって紙コップの回収にきたとき、


パントマイムでゴミに出しませんか?と言って(そういう身振りで)

飲み終わったカップをCAに渡してくれました。


私は耳は聞こえていたんだけど、


家に帰ってから、ふと思ったのは、


彼はもしかしたら、聴覚が不自由だったのかもしれない、

ということ。


彼も声を発しないで、CAに指さしでコーヒーを頼んでいたのを

思い出したのです。



…見えない障害と言う言葉がありますが、そんでもって最近それは、

おもに、


発達障害のことを指しているのですが、


耳が聞こえないとか、声が出ない、視力が弱い、というのも

一見したらわかりませんよね。



知らず知らずのうちに、ひとを傷つけていたり、困惑させていたかもしれないなあ。


と、思ったし、


これからは、電車の中で無言ですり抜ける人がいても、


もしかしたら声が出ないのかも、と思う余裕は持ちたい、


と思った私です。


…この結論は、間違ってますか(笑)。