村雨
最近は雨続きで困ったものである。別に生活に支障はなくともやはり雨に濡れると気分が沈む。私がいつも通る道はビル風がすごくて、傘を差していたらものの数秒で手にあるのは傘のハンドルのみとなるだろう。だから私はそこを通るときはいつも傘を差さない。風が強いので雨も風に飛ばされて私めがけて降ってこないから、別段何も大変なわけではない。むしろ雨の日は読書も進むし、家で洋楽を聞きながらパンケーキを作れる。少なくても私にとってはいいことばかりである。と、考え直した。それよりも、九州の豪雨の記事を読んで私はこんなことで愚痴など言ってられないと思った。コロナに追い打ちをかけるように雨の季節がやってきた。避難所でコロナ対策が行き届いているのかとても心配だ。こういう時に四季がはっきりしていて、降水量の多い温暖湿潤気候の日本は困ったものだと感じる。一刻も早く全ての人が元の生活に戻れますように。とは言いながら、本当に全く元の生活に戻れるのかという考えもある。いきなり降ってきて先ほど止んでどこかへ走り去っていった雨の水滴を被ったベランダの観葉植物を見ながら、誰にともなくつぶやく。村雨の 露もまだひぬ槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ秋じゃないけどね。槇は真木、「良い木材になる木」全般を指していて、杉や檜などの常緑樹を言う。村雨はにわか雨。