こんばんは。
またまた夜中の投稿です!
テーマは「通知表」。
今日は2期生の学校は通知表。
娘はもらってきたのですが、案の定
「お友だちと仲良くできる」は「頑張ろう」!(笑)
想定内の結果に爆笑!(笑)
お勉強の方はというと…
「積極的に」ゾーンが全て「できる」で、あとへ全部「良くできる」。
これは、授業中やる気ないけど、テストは100点だよね…の典型的な結果(^_^;)
ちょうどお友だちと話していると
運動が苦手な子が、「良くできる」がついて、得意な子が「できる」なり「頑張ろう」がついているとか…。
まぁ~基本的に、小学校の通知表なんて、先生の好き嫌いの指標としか思ってない私は、見て、ハンコ押して、適当に感想書いて終了なので、対して…いや、全く重きをおいていない。
しかし、やっぱり成績表に一喜一憂するこもいるようで…。
今の学校なんて、期末テストや日々のテストの成績なんて全く関係ない。(少なくともうちの子どものクラスは)
息子の時もそうだったけど、息子は、テスト全部100点でしたが、ほぼ、「頑張ろう」で、問題児だけど、親もモンスターの子どもは小学校のテストすら30点程度しかとれないのに全部「良くできる」でした。(←親がそれを自慢げに話していたので(^_^;))
…とここで思う。
テストというのは、日々の努力や授業をいかに聞いていたかで決まるものではないわけ?
そうでなければ、なんのためのテスト?
30点でも先生と仲良くしていればよい成績がとれるのであれば、テストなんかいらないのでは???
と思いませんか?
うちの子の成績はどうでもいい。(笑)
でも、運動や勉強が得意な子が「良くできる」がついてはいけない理由はどこにあるのでしょうか?
頑張っていればいい‼
とか、そういうのはくだらない。
結局結果論なんですよ。
どんだけ頑張ったかではなくて、
何ができるか。
これが大事なんじゃないのかな?
幼稚園児ならともかく、
小学生ならば、結果を出すためには何をすればいいかと、逆説的にとらえ、結果がでなければ、なにかが足りなかった。次こそは!と思うことが大事なんじゃないかな?
先生に媚を売り
頑張っていることを見せていれば
世間は認めてくれる?
ノー!!
ですね。
大人になったら、過程なんか褒めてはもらえません。
だったら、結果を出してほめてもらうために頑張る。
そういう心を持たせることが必要なんじゃないだろうか?
昔は絶対評価。
泣いても笑ってもテストの点数で、上位何人が5とか決まっていた。
だから5がとれるように皆テスト勉強頑張りました。
今の小学校はゆとりのせいでくだらなくなっている。
息子は中学に入り、正当に評価され、提出物の有無。日々のテストの結果、中間や期末テストの結果で評価がついていて、誰が見ても納得のいくもの。
小学校の通知表や内申書は、中学受験の時に必要だと聞くが(息子の学校はテスト一発勝負だったので、そういうくだらないものは提出しませんでした)、中学受かりたかったら先生と仲良くすれば良いのか?
息子のかつての担任は、大っぴらに1月くらいに受験生に向かって
「内申書は僕の気分で書きます‼」
とか言っていた。
こういう脅迫でしか、子どもたちをコントロールできなくなっている、質の低さにも驚きだが、これら全て「ゆとり」のせい。
いい加減このくだらない制度をなくすことはできないのだろうか?
「ゆとりは終わった」なんて言っているが、そこここに残っている。
昔の3段階評価、5段階評価が懐かしい。
あぁいうのは見応えあるし、次の目標を立てるにもやり易くて良いですよね♪
1分で見飽きる通知表じゃなくて!
息子の中学のように、何度もことあるごとに見て、弱点やできなかったことを再確認するための通知表が欲しいものだとつくづく思う今日この頃です。