聖書の動画メッセージを配信していきます。はじめての方でも分かるように語らせて頂きますので、周りの方々にも紹介して下さい。なるべく聖書が語っていることを損なわないように、死に着いて、永遠について、真理、病、劣等感、罪、ゆるし、平和、創造主、結婚、生命、誕生、愛、霊、魂、体、感情、意思、福音、イエスキリスト、十字架、復活、改心、成長、葛藤、苦悩、悲劇、悲しみ、、、希望、喜び、感謝、平安、等、重く重要な本質的なテーマに取り組んで行きたいと思っています。皆様のコメント・ご意見をお待ちしています。
創世記3;21-24 皮の衣を下さった神
人が罪を犯したために
神様は人をエデンの園から追い出されました
すべての人の心の中には
エデンに帰りたい
神に帰りたいという思いがあります。
帰るには道が必要です
イエス様は
「私が道であり心理であり命なのです」と宣言されました。
「私を通してでなければ誰も父のもとに来ることはできない」とも言われました。
そして
十字架の犠牲を通して
神と人との和解の道を開いて下さいました。
皮の衣はそのことをあらかじめ示した
神の愛のプレゼントだったのです。
このプレゼント(イエスの十字架の犠牲)
を是非受け取ってください。
創世記2;1-3 七日目の安息
創世記2;1-3
注)今回のテーマは普通の理性とは別次元の話なので少し難しいかもしれません。
・神様は6日で創造のわざを終え、7日目に休まれました。
・そしてその日を祝福し、聖であるとされました。
・聖であるというのは区別されたという意味でもあります。
・そして神を信じる人々はその安息の中に神ともに入るのです。(ヘブル4;3)
・死後、神のよしとされる人は、このまさしく創世記に記されている7日目の安息に入るのであって、世の終わりに別の安息があるわけではありません。
・神にとって時間や空間は意味をなさないのであり、創世記の安息と終末の天国が別のものではないということがうっすらと聖書から読み取れる気がします。そして、今日の安息日、聖日(日曜日)も本質的には同質のものです。
・みわざは創造のはじめに全て終わっているからです。(ヘブル4;3)
※神様が現代は安息していて働かれないということでもありません。
・さて安息とは何でしょう?分かりやすいのは昼の労働と夜の休息であり、6日の仕事と日曜の休日です。しかし、日曜日に一日中寝ていることは極度な肉体的疲労を覚えている人には休息になるでしょうが、眠くない人にはがまんのならないことでしょう。それは人間には精神や魂と呼ばれるものがあるからです。そこで人は買い物をしたり、友達とお茶をしたり、趣味に打ち込んだり、映画を見、スポーツをし、音楽鑑賞をするなどのことにより文化的欲求を満足させ、精神の必要に応えます。
・しかし先週話しましたように人にはそれだけでなく、霊があります。霊はこれをつくられた神様のふところにおいてのみ、真の安息を得ることが出来ます。そしてそれはまさに神様の安息日にたいする命令でもあります。出エジプト20;8には「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。、、、」とあります。このような命令をある人は堅苦しく感じ、その逆の人びとは融通のきかない形式化された法にしてしまいました。しかし真に人間に大切なことと神様の命令とは常に一致するので、それを知る人にとっては神様の命令は進んで守りたい喜びの法であり、神様を無視する人にとってはなにか大きな荷のようなものに感じるのです。
・とにかく最終的に地上でなすべき各自の仕事を終えて、天での安息に入ることこそが創世記の神の安息の完成である。
