どうも、アメーバーでキーボードがすすまない。


FC2では、ここ最近、妙に書く気になっているというのにwww


ま、かいてるんだよ、と、いうことで

かきはじめたところあたりからの

記事をリンクであげておくことにした。



現状 (05/09)  

  • 願い (05/08)  
  • 思うままに書くとぞれるのは、いつものこと~~~ (05/07)  
  • 又も、うじゃうじゃ話 (05/07)  
  • わかんないね~~~ (05/06)  
  • 卑弥呼の話から・・・ (05/06)  
  • 白蛇 (05/05)  
  • 現状 (05/05)  
  • 千木のこと・・3 (05/05)  
  • 千木のこと・・2 (05/05)  
  • 石神と・・ (05/05)  
  • 不思議なことをば・・ (05/04)  
  • 千木のこと (05/04)  
  • 諸刃の剣  2 (05/04)  
  • 諸刃の剣 (05/04)  
  • うだうだ話をば・・ (05/03)  
  • 天気と転機 (05/02)  
  • えにし (05/02)  
  • 懺悔っぽいなあ・・ (05/01)  
  • キャッチ??? (04/30)  
  • 幸福論かもしれないな・・ (04/29)  
  • シルバーパーチのことから・・ (04/29)  
  • 不可解でごめんにゃ (04/29)  
  • よくわからないけど・・・ (04/29)  
  • さらに、うじゃらこうじゃらと・・・ (04/28)  
  • たどたどしく、とりとめなく (04/26)  
  • あるいは、気の毒な・・・ (04/25)  
  • 不思議と・・ (04/23)  
  • 自覚 (04/20)  
  • ウガヤフキアエズの伝承 (04/19)  
  • スピリチュアルに分類すべきかと思いつつ (04/14)  
  • なぞだらけだ (04/12)  
  • とりとめなく (04/08)  
  • 久しぶりに・・ (04/08)
  • ウガヤフキアエズのことで、先日、コメントさせていただいた。

    いろいろと、情報をいただき、なるほど。

    と、なったのであるが・・・。


    ひとつ、???と思う記事に遭遇してしまった。


    まず、

    コメントの中の一文


    ウガヤフキアエズを祀る、宇波西神社のいわれである。

    宇(ウガヤフキアエズをさす、宇宙の宇など∞(無限大)の広がりをあらわす)

    が、

    西から波に乗ってやってきた。


    と、いうものである。


    西から波にのってやってきた。

    と、いう話だけを素直にとると、

    これまた、素直に疑問がでてくる。


    西ってどこだろう?


    そんなことを考えてるときに、???の記事に遭遇してしまったのである。



    天皇家の祖先は失われた古代イスラエル十支族ではなかろうか?

    ということで、

    類似点をいくつか、枚挙していた。


    古代イスラエルのソロモン神殿の両端に獅子と一角牛の像がおかれていたが

    これと同じものが皇室にあるという。


    さらに、初代天皇・・・これがウガヤフキアエズの息子になる。

    神武天皇の諡号が

    「カムヤマトイワレビコスメラミコト」であるが、

    ヘブライ語の

    「カム・ヤマトゥ・イヴリ・べコ・シュメロン・マクト」

    が、語源ではないかといわれる。


    その意味は

    「サマリアの王 ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」だそうで、

    サマリアの王とは、ユダヤのエフライム族の王家にあたり

    聖書においてエフライム族の王室は絶えることなく

    常に世界のどこかに存在し続けているとの記述があるとのこと。


    どこかに存在し続けたというと、日本の天皇家しかないといえる。


    以上が書かれていた内容であるが・・・・。


    ウガヤフキアエズが西からきたとするなら

    そこはイスラエルなのだろうか


    諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「 ... 諡号が天皇の徳を讃える贈り名であるのに対して、追号は関係のある地名や年号から取られた贈り名である。


    さらに興味深い記事に遭遇

    http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/099yata.htm


    ウガヤフキアエズが西から来たという伝承が、そのとおりであるのなら


    ヘブライ語でヘブル民族の創設者という諡号があらわすその意味から

    日本民族はヘブル民族になっているということか・・・


    Y染色体によると、ユダヤ人と日本人にしかない染色体があるし

    さらに、もともとの日本人固有と思われる染色体はアイヌ・・など北海道地区におおくみられ

    南にさがるほどすくなくなってくる。


    熊襲征伐などは、もともとの原住民族の勢力を駆逐するためのものだったということになろうか。




    生の親父はいろいろ、複雑で

    親父の母親は前夫を亡くし、親父を連れて再婚したらしい。


    その養父の元をはなれ、ずいぶん年をとってから

    結婚し憂生がうまれたわけだけど

    じつは最近まで養父の名前すらしらなかった。


    親父が生前一度だけ故郷にもどったことがあり

    このときに先祖の墓だという写真をみせてくれた。


    その写真には

    「根来」ときざまれた墓がうつっていた。


    それで、てっきり、養父の名前だろうと思っていたのだけど・・・。


    ひょんなことから、おふくろが親父の戸籍やら

    一度だけの帰郷のときに親父が家族のことをしらべた書付がでてきて

    そこに

    養父の名前があった。


    憂生にとって、ある意味縁の深い存在

    鬼を冠する名前だった。


    しっかり名前をいうと故郷がどこかもわかるというほど、

    鬼のつく名前は、その土地の名から由来している。


    鬼澤である。


    澤の字を使うか、沢の字をつかうかで

    何らかの意味合いがちがっていたとおもうし

    親父のふるさとは鬼沢だったとおもう。


    しかし・・・。


    そうなると、根来は実の父親の名前ということになるのだろうか?


    子供ができてから・・・。

    おめでた婚でなく

    子供がうまれてから結婚するという状態もよくあったようで

    (地域性?)(もっと、複雑な理由?)

    親父の戸籍の父親欄には記名がなかった。

    前夫が亡くなってから妊娠がわかったのか?

    そこのところはさっぱりだが

    路頭にまよっていたところを鬼澤氏に助けられたというところかもしれない。


    結局、鬼澤氏との間にふたり子供ができたようで

    継子の親父は何らかの理由でいずらくなって

    若いうちに家をとびだしてしまったようである。


    それがため、故郷に帰ることもできずにいたようで

    このあたりのことは子供心になんとなくわかっていたので

    詮索しないようにつとめていた。


    なにか、自分のルーツをさぐることは

    おそろしいことにもおもえた。


    複雑な因縁がすでにみえているきがして・・。

    長じて

    また、ある能力者の方からも

    「因縁が絡みすぎているから探るな」ということをいわれていて

    特に避けていたと思う。


    そんなことを示唆するかのような

    親父の言葉もあったのを思い出した。


    花札、こいこいをやるときの符帳だが

    あやめの札をめくりたいときに

    めくったときなどに

    「あやめ、6月死んでもなおらん、根深(ねぶか)」と、いう。

    あやめの地下茎が深いところにまではっていくということに

    根の深いこと(因縁や争いの)をかけあわせて

    死んでもなおらんというわけ・・・。


    今の世界の争いも深いところにねがあるというか

    年代的にもふるくからであるぶん、いたるところに

    根がはってしまっているところがあり

    誰か一人が死んだとて、直る程度の根のふかさではないといえる。


    根深からくる物事だから死んでも直らんか・・・。


    不思議な符帳を口にしたものだと思う。


    その「根」が来るという名前だったかもしれない実の父親。


    親父の母親も一風変わった苗字だった。


    なにか、不思議でしかたがない。


    同じような地域の3人がそろいもそろって変わった名前。


    なにか、とりとめないんだけど・・・おわる。


    なにを書きたいというのでもないのですが・・・。


    なにかをかいてると、

    なにかがとびだしてくるのではないかと・・・


    そんな感じでひさかたぶりに日記?にむかっています。


    さきの占いの話になりますが

    う~ん

    どうも、失語症気味で端的な言葉をさがすと

    かけなくなってしまいますので、

    自分の言葉でかきます。


    占いの言葉は的確だったのですが・・・www


    ま、簡単にいうと、

    天と地がひっくりかえるような

    価値観の転換に

    かなりのショックをうけて


    物事をうけとめきれずにいる。


    というか


    茫然自失・・というべきかな。


    性格上の難点というか


    小学校で1年くらいしかいなかった下級生など、

    こっちのことをほとんどまともにおぼえてないだろうに

    と、おもっていたのに

    ずいぶん年月をへてからぱたりと遭遇したとき

    「昔から憂生は正義感強かったから」

    と、話されたときはおどろいたのだけど・・・。


    価値観がくずれさる。


    と、いう後ろ側に実は

    物事、白黒をつけたがるという性格があったと思う。


    正しい。悪い。という杓子定規があって

    この杓子定規でかんがえて

    自分をどんどんおいつめていったと思う。


    簡単に言い過ぎてると思う。


    杓子定規で白黒つけるといっても

    ・・・・

    う~~~ん

    たとえがでてこないなあ。


    たとえば、

    誰かにお金をかす。

    かえしてくれなかったとする。

    もちろん、普通にかんがえても

    かえしてくれないやつがわるい。のは、あたりまえだけど・・・。


    そういう白黒でなく

    それでも、この人(憂生)にはかえそうとおもわすことができない憂生がぼろい。

    悪いというのとはちがうかもしれないが。


    そう考えると、返さなかったやつがわるいのでなく

    かえしてもらえなかった憂生が悪い。


    と、まあ、こういう価値転換で相手をゆるし

    自分をせめる。


    と、いう白黒のつけかたをするので、最後には

    こう・・・自分の存在がだんだんつまらなくなってしまう。


    希薄といっていいかもしれない。


    こういうところにおちこむと

    自分のいってることが

    いや、言おうとすることが

    しょうもないことでしかないとおもえて

    口をとざすようになっていった。


    結局、なにかにつけて

    白黒を求めるというか。

    相手が悪くないなら自分が悪い。

    と、いうことにしたって

    白と黒がないと自分の均衡が取れないということになる。


    矛盾もあろう。

    理不尽もあろう。

    こっちだって神さまじゃあるまいし・・。


    神さまじゃあるまいのに

    白黒つけようとしていたともいえるwww


    あれもよし。

    これもよし。


    いろいろあるから人生たのしい。


    たぶん、精神的には

    かなり苦労して、

    そのくせ、そんな理不尽をしらずにおわるよりはよいともおもう。


    ふりかえって

    なんともいえぬ味のある人生だったとおもうだろうともおもう。


    いっぽうで、白黒つけないというよりも

    そんな自分をわかってもらおうという思いもすくなくなってきたとおもう。


    誰だって、くるしいことはある。


    それをさらしてみたところで

    いや、それをさらしている人をみるとというべきかな。


    さらせるだけ、しあわせだとおもう。


    さらすにさらせない。


    まさか、自分がこういう孤立無援?におちいるとはおもいもしなかった。


    結局、強くなるしかないな・・と思う。


    憂生の友人に夢で不幸な前世を垣間見るという人がいまして、

    それについては

    憂生はありえることだとおもうのですが、

    友人はそれを調べるということをしていたのです。

    そこもわからないでもないのですが、

    どういうんだろ・・・。

    ひとつには、自分が切り替わっているはずなのに、

    過去世をさぐるのは、

    逆に自分を過去世の感情?にひきもどしてしまうことであり

    それをしらべるのでなく、

    そのような過去世とおりにならなかったこと、

    自分がきりかわっていることをしっかり自覚できていないから

    本当だったら?こういう人生になるとこだったんだよと

    現在の自分がたすかっていることを教えに来ているんだ。

    と、受け取るべきじゃないかと話したことがあります。


    友人のように

    過去世としか思えない夢をみるということはないのですが、

    夢うつつで声をきいたことがあり

    過去世とはすこしちがうのですが・・・。

    それはなんなのだろう?と思う気持ちはあります。


    何人かに(占い師とか?霊能力者とか?)たずねたことがあるのですが

    答えはもらっていません。


    勢い、自分でかんがえるしかなくなってwww

    結局、

    現在の自分がたすかっていることを教えに来ているんだ。

    と、受け取るべきじゃないかと話したことがあります。

    というのに、にていて

    死線をさまよっていたのを、たすけられたんではないかと結論していますが


    不思議なのは

    こちらを呼び止めたその呼びかけです。


    一日めは転寝の途中

    亡くなったおじが自分の子供の名前でこちらをよびました。

    次の日もなぜか、同じ時刻に転寝をしてしまい

    だれかに、「おおくにぬし!!」とよばれて「え?」ととびおきたのです。


    おじはわからないでもないですが

    「おおくにぬし」とはこれいかに?


    つまり、おじが自分の子供の名でという図式をあてはめると

    「おおくにぬし」と呼んだ人?はおおくにぬしの親ということになります。


    けれど、その声は男というより、凛としたかんじの女性の・・

    年代的には30~40歳くらいかなあという・・。


    これで平行移動がなりたたなくなり

    では、逆にいとことまちがわれたということで

    おおくにぬしのいとこが

    前世のなかにいるのか?


    などとかんがえてしまい

    ・・・・。


    わからずじまいでおります。


    こんな経験もあったせいか

    過去?にとらわれてしまっていては

    らちがあかんとおもうようになったのです。


    とは、いうものの

    前世説というのは、納得できるものがあります。


    最近も有名な方の占いをみてきたのですが

    なにか、心につきささりました。


    前世でおきたことを現世でクリアしなきゃならない。


    だから、時に理不尽なことがおきる。


    確かに現世の思い方しだいで前世の遺恨を晴らせるという考え方はしていましたが

    逆にもっと肯定的に前世を受け入れていなかったと思います。

    へんな言い方かもしれないけど

    「自分のせいじゃないけど、前世がそうだったからこういうことになるんだな」

    と、自分への責めみたいなのがすこし軽くなったところがあります。


    その占いじたいも

    前世の遺恨を具体的に示唆していて、

    どうすればいいかということまでかいてあって

    それが事実かどうかということより

    まったくそのとおりで、あてはまっていました。


    憂生の考え方に

    必要なときに必要なものをめにする

    と、いうのがあるので

    たまたま、それをみさせられたという意味合いでは

    占いはあたっていたといえます。

    たとえ、別の人がいっても

    同じ占い結果になったとしても

    占いがいんちきであるというのでなく

    必要な人間にひびけばそれでよいわけですから。


    そのあたりから、すこし、心動かされたことをかいていこうという

    気持ちがもどってきはじめています。