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手のひらで転がされてる感覚がすごく嫌.
人はおもちゃじゃないわけ.
人を扱えるかのように言われる発言が気に障る.

ひたすら嫌って書いても意味はないから、少し別の話でも落ち着いて書いてみよう.

昨日のこと.

2030門限だけど、一切無視で20時に西村と2人で飛び出して焼鳥屋に行った.
しかもit's on me.って感じ.

ラーメン大好きな彼.
僕はラーメン食べ過ぎるとたぶん吐きます.
僕の場合、たまに食べたくなるのは焼鳥です.
そんなわけでちょちょいと食べてきたわけ.
門限はぎりぎりセーフ.

そして、その後、
遅めに帰宅の土屋が21時に部屋に現れた.門限無視.さすが….
何だかんだで23時過ぎに抜け出して、2人でさっきの焼鳥屋に行った.
一回食べたからおれは枝豆と飲み物だけ.

土屋と2人で医学部についての話.
そう、彼は昼に面談だったんです.(因みに僕は今日の朝)
去年から京医志望だった彼はセンターしくじって筑波に変更.
クラスで3本には入るんだから押しても良かったんだろうけどね.

この前話した話の続き.

かなり辛そうな唐辛子で埋め尽くされた唐揚げやらつまみ、しめサバやらつまみ、…….

ひたすら話した.

気付くと時計は25時を回っている.

お互い次の日は朝から用事.
帰ろうか.

部屋に戻ると、恐ろしいほどの眠気に圧倒され、すぐ寝てしまった….

朝は遅めに起床.
急がなきゃ間に合わない.つか軽く遅刻.

面談してきた.
10時に終わって、その後父とコーヒーでも飲みながら12時くらいまで久しぶりにゆっくり話した.
今日はお酒が入らないから、
かなりシリアスな話だった.

今の日本についての考えを聞いたり、医療に関する話だったり.
まともな話を久しぶりにしたわ.

やっぱりただの英語教師じゃねぇわ あの人.
正直、あの人の授業を受けていた水城さんが羨ましいよ.
まぁいい.

色々と思うところはあるんだけど、
あんまりぐだぐだしてる暇はないのと(もちろんいつもないはずだ)、
やることは決まったということで、集中していきます.

自分のスタンスとか、そーゆーのは近頃周りに対しても少しずつ示していけてるはず.
良く言えば価値観が定まったということ.
悪く言えば、“定まる”ことは、多面的な見方の欠落を意味する.
今日みたいな話を聞くと、やっぱり“定まる”わけにはいかないと思ったりもするわけさ.

“自分を出す”と何かしらの反発だったり戸惑いを示してくる 人たちに対して、
ふざけんな!
と言いたくもなる近頃だけど、
しばらくは無視することにするよ.


ともかく!
やっぱり2008年は面白くなりそうです.
自分を必要とする人たちがいることが励みになり、
それがある内はまだまだ“自分”に籠る必要もないことでしょう.

残り30日だぜ.
かれこれセンターが終わって2日勉強していなかった.
一週間だらだらと悩むなら、きっぱりと日にちを区切って考えようってのがあったから.
そんなわけで、今日から勉強はスタート.

2日間は、とことん出願やら一ヶ月のスケジュールやら考えてました.

結局…、
文系の友人曰く大丈夫らしい政経と、
必要科目が全て満点で合格最有力の慶應-薬と、
昨年より易化なために可能性は薄いもののダメもとでの法-政
をセンター利用で出願.

だから、受験予定だった、産医と慶医は受けないことに.

2月25日までの33日は全て国立のために注ぎます.
来週以降は、今週末スーツ等の買い物を済ませるため、一切寮から出る用事もないし.
再び完璧な籠りっぱなし生活.

不思議と精神的には落ち着いてるわ.
だらだらと遊んでた11月くらいまでと違って、
やる気出して勉強し始めた12月以降ってのはホントに周りの人たちの支えを感じます.
「結局は自分の力だよ」だなんて言われるんだけど、
“どれだけリラックスして臨めるのか”はなかなかのウエートを占めてると今は思う.
この一年くらいで、かなりメンタルは強くなった.
身近には誰もいなかったしさ.
一人より二人が良いと今は思うんだけど、三人は要らないなって感じ.

一人の能力を付けられたら後は応用が利く.
3月に言われた「一人でないと見えないもの」も幾らかは見えたんだと思う.

もしかすると、ある時期以降から僕は組織に属しにくい個人にシフトしてしまったかもしれないな、
という疑問だけは残るけど.
まぁどうにでもするから.

受験…か.

少し昔、榊原さんと赤坂でお話したときに、
「受験なんてのは、一年間真面目に勉強すれば済むものだ」
とおっしゃっていたのを思い出す.
やり方次第では、3ヶ月くらいでもいけるってのを自分は証明してみよう.
昔、絵里に宣言した通りね.
今年度の僕のテーマは、最初から
『最小限の量で最大限の質を如何にあげるか』
だった.

一番に意識する「ブレてはいけない」点に関して言えば、
今は『将来』なんだと思う.
自分にとって一番ブレてはいけない部分は、10年後のoccupationだ.
workがブレることに関して、僕はそんなに気にしない.
というかそもそも固定はしていないけど.

その点じゃこの10年は、すごくflexibleだと思うね.
自分の頭の中には、あらゆる場合が想定されたものが入っている.ある時期に考え込んだおかげで.

文系にいこうと医学部にいこうとね.
1年単位じゃあんまり繋がらないし、話しても何がしたいのか相手に見えてこない.
スパンは10年.

この部分は誰にも変えさせない.
たとえ、親であろうと恋人であろうと親友であろうと、
害ならば冗談抜きではっきりと排除するよ.
邪魔は要らない.

自分の大きな方向性はある程度まで許容できるんだけど、
小さい希望までは絶対摘ませない.

昨日は食事後から25時頃まで、土屋と西村が部屋にいて、そのとき少しだけ自分の話をしたけど、
彼らが帰って再確認したんだよね.
柔軟で良い部分と、変えてはならない部分と.

因みに、土屋はすごくできる奴.
彼が筑波に行くならば、自分も筑波に行っても良いと思うほどに.

生きていく上で、得がたいものとして、
良き理解者であったり、その場限りではない伴侶であったり があるけれど、
“頭が良い”奴ってのも得がたい人種だろうと思う.

名指しで悪いけど、以前書いた、文系の熊谷も確実に上に書いた人種.
ホントは、単純に頭が良いと書くことにとても気が退ける.
表現としては全く以て不十分だから.

同世代、かつ、思考力に長けている、かつ……etc.
とりあえず言葉では表せない感覚.
これまでに、この“頭が良い”と思った人は、10人もいない.

この人に付いていくんだ!ってのとは全然違うんだよ もちろん.
まー感覚だから.

国立の決定は約一週間後になるけど、
週末に再考してみようと思う.

どこにいこうと、3年か4年後には確実に飛ぶんだよね.
ははは…考えるところはまだまだあるわな.




では.
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遅い朝.
ご飯は知らない.
新聞をとりにいく.
机に戻って理科で遊ぶ.
やっぱり物理だよな.

昼になって喜劇屋登場.
ラーメンが食べたいらしい.pigの気分とか.

ついていく.
列がある.面倒じゃん.
少し奢ってやるからあっちでステーキでも食べちゃおうぜ.
古賀俊介昼から大冒険.
男に奢るなんて……成長したわ.

食べながら、去年の誕生日桃さんに奢ってもらったステーキを思い出す.
今年は一人で何か食べようかな.

帰宅後横尾に誘われ下見で九産大へ.
元々下見行くつもりなんてなかったけどまぁいっか.
JRで3駅.
学食に入って横尾は昼飯.
ん…大学って感じ.
先月お会いした加藤さんはこの大学出身とおっしゃっていたのを思い出した.
横尾は「可愛い子多いこの大学!」を連発.
裸眼で来たおれはイマイチ見えない….
ちょっと後悔.まぁいーよ.

先週下見に行った友人たちは、教室で寝転んだりした写真を撮ったと聞いたけど、
今日フツーに授業あってる日みたいで、それは無理.
ひとまず会場を覗く.
ふー、来た意味あったんかなぁ.
コロッケを頬張り帰途.

箱崎駅着いて、業務用スーパーに入る.おれも彼も初めて.
リンゴとイチゴなんか買っちゃって、帰宅.

時間はいつの間にか夕方.
さて、机に戻ってのんびりやるとします.

では.
天気不良で溜まった洗濯物.
部屋の薄暗さ.
流れる静かな音楽.

鬱陶しさを振り払うように流し込む炭酸.7UP.
うー……
普段は飲まない炭酸が与える刺激.キョーレツ.

朝の時間に起きている人は少ない.
自分だけの時間.ゆっくり流れる.

徐々に日が差し始める7時頃.
今日は雨ではないらしい.
結局晴れた.

どちらにしろ、天気なんてお構いなしに洗濯.
干す.
雨は降ってないからセーフ.

昼飯にまたまたうどん.
消化吸収に優れてて、エネルギー効率からすればちょうど良い.
何も食べないよかはマシ.

本屋に立ち寄る.
ぶらつく.
喜劇屋西村は今日も絶好調.
一日の中の“笑い”貴重.
うどん屋精算でシダックス30%OFF券提出…未遂.

ふと11月だったか、笑いの源、美奈と話したことを思い出した.
ちょちょいと調べてみたら11/15のよう(http://koshi218.exblog.jp/6452525/)
去年の誕生日前日.
座ってるソファが揺らぐ.あれも喜劇.
受験終わったらまた“笑い”をもらいに行くとしよう.

楽しかったことなんか思い出してたら、いつの間にか夕方.

あるblogを覗く.
NEVER SAY GOODBYEというミュージカルの主人公、ジョルジュの話.
今まで知りもしなかった人の生き様を知る.
自分の中にある感覚と似たものを感じ取った.
共感.
彼のように生き、果てよう.
あの文章を読めて良かった.

その後、一人でプールへ.
明日は矢野と行く約束してるけど.

一人ゆっくり泳ぐ.
水に浮かんでる感覚は心地良い.

この前行ったときの1分インターバルはキツかったから.
対照的に今日はのんびり.

頭の中では「真夜中のプール」が流れて仕方ない.
どうしたのやら.
プールだからかな.

『あの日描いた未来とは 何か少し違ってるけど それが時の流れ~♪』

確かに、“あの日”描いた未来とは何か少し違う.
でも、別にヤじゃない.

後に、
『あの日描いた未来とは 何か少し違ってるけど それが今は好きで~♪』
と続く.
そう思う、今が好き.

『少し酔い過ぎたみたいだ プールサイドに君の影 月に照らされて~♪』
若干寝坊気味.
4時に目が覚める.
ぐだぐだと机に向かう.
まだまだ鞭打ってやんなきゃ.

今日も天気は雨.
巷は成人の日絡みで連休のよう.
基本的に連休なんてものは関係ないから.

朝食の気分じゃないなぁ.
ヨーグルトでも食べようかな.
買いに行く.

昼は久しぶりにラーメン.
友人4人と.
一心亭本店.
飯のために往復1時間.
まぁそれも良き哉.

母からのメール.

『生まれてくる生命は 国も 父も 母も 選べない 生まれ落ちた場所で 懸命に生きる 貧しい国の子供が 一本の鉛筆を与えられた時の感動と 裕福な国の子供が 高価なおもちゃを与えられた時の感動と どちらが大きいものか その答えを本当は 誰もが知っている (産経新聞1/9付掲載 一般読者の朝の詩 千葉県 浅沼けい子さん 47歳)』

加えてこれも.

作家の曽野綾子さんが新聞のコラムで『引き算人生で落ち込む日本人』と書いていた。
『健康ですべてが十分に与えられて当然と思っている人は、少しでもそこに欠落した部分ができるともう許せず耐えられなくなる。私が勝手に名付けたのだが、これを引き算人生という。それに反して私は欠落と不遇を人生の出発点であり原型だと思っているから、何でもそれよりよければありがたい』

うー っと考える.
幸せについての話.

夏に皆集まったとき話したっけ.
秋にも誰かと話したな.
顕が結婚したいって言っていたのを思い出す.
夏の顕 面白かったよな、あはは笑
幸せについて語る男6人、
顕、じょにー、泰希、大地、なべさん、誉樹…
なかなか面白い光景だった.
shori、せっきー、おれは別室で寝てたっけ笑

欲があるからずっと追及していっちゃうんじゃないかななんて思ってた.
前にありがたみについて触れたけど、
ありがたいって気持ちを思うだけなんじゃなくて、
少しでも口に出してくことで何か変わるんじゃないか?

近頃はそう思ったりする.

少しの良い事にも感謝しつつ、
あぁ伊豆行きたいとか言ってるおれは脱落者?ねぇどうなの?笑

久しぶりに『遠距離トーク』の方眺めてたら、
第一回目の話題“浮気”じゃん.
相戸さんに爆笑されたっけね.
今見ても面白かったよ.
願望有りとか書いてるSは若干ヤバいんじゃないかと心配.
あの頃はバカみたいな話ばっかして、笑ってられたけど、
段々変わってきたね.
別にそれが悪いという話ではなくて.
彼との付き合いも2年.
近頃じゃだいぶ落ち着いてきたけど、振り返るとなかなか楽しい.
たまには、ずっと昔のentryをぼーっと眺めてるのも良いかもしれない.
たまには、ね.

今日は昨日よりは幾分か楽に過ごせた.
もう一踏ん張り.

ではまた.
◆Associe(01・15)から

梅田望夫×齋藤孝 対談

「最初の時期は、仕事を通じて自分の志向性をきちんと定める時期と考え、期限付きで頑張る」

「自分の志向性と会社の可能性を上手にすり合わせて、組織に対して働きかける」

「量をこなしある一定のラインを越さないと質的変化は起こらない.量をこなすことで負けや失敗を恐れなくなる」

「大抵のことはうまくいかないという前提、諦観に似た考えがベースにあるものの、確率はゼロではないから何回も挑戦していけば一度はうまくいく.そのうまくいったことをもっと褒めよう、楽しもう」

機会があれば眺めてみて下さい.なかなか面白い組み合わせでした◎


◆外に

久しぶりに外に出た.自宅に帰ったことを除いたら2回目くらい?
2008年も一週間が過ぎたんだなぁ.

名古屋以来のコートを羽織ると、内ポケットから椿三十郎の半券.随分と昔な気がした.

友達に貸してたものを受け取りに天神まで行って、帰りにJTBに寄ってきた.
まだ決定ではないから支払いもハンパだけど.

ついでに、旅行の値段とかふら~っと眺めてきた.

北海道、東北、……etc.
どこもだいたい3万くらいで行けちゃったり.
旭山動物園行き2泊で4万くらいってのも面白かった.表紙がペンギンだったし笑

某Aくんが彼女と行ったとかいう格安台湾プランは見つけらんなかったけどね.

まぁもう一息だ.


今日の日経には、円の弱さが書かれてた.
今円はこんなに弱いのか…
日々意識せずにきた分、なかなかショックは大きかった.

4年前イギリスに行ったときは、まだ買い物もしやすかった.
今は、日本食レストランの天ぷら定食で 五千円ですか.
日本人は今の英国じゃほぼ暮らせないよ.

将来のことを考えると、僕にとっちゃもう少し円が強い方が有り難いですかね.

タイも今はバーツ高なのだとか.やれやれ.
あはは笑


この辺で.
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斉藤の彼女は言ったを聴きながら.
写真は、昨日丸ちゃんにもらった銀杏並木.
気持ちは複雑でしょうが(笑)、
きれいです.ありがとね☆


◆自分

ある作家の表現が目に付いた.

「皆と似たり寄ったりなのが嫌なのかもしれない.」

「自分を取り巻いてる存在や思惑が鬱陶しくて、媚びない程度の微笑を愛用することで友人同士の馴れ合いから身を遠ざけた.」

「誰にも何も期待してはいけないと自ら戒め、相手の横暴は許しても、わかったような同情や労りには必ず冷笑で一矢報いた.」

「孤立を気取り、解釈されるのを何よりの屈辱と感ずる.」

近頃これに近い話をする機会が幾らかあったから目に付いたのかな.
作った表情での応対、暮らし.
何も変わらない.

人が見るのは、動くのは、感じるのは、
自然な表情なのだなと気付いたから.
そして無理解への欲は、次第に理解への欲に変わった.

僕は上を“大衆用”という言葉を用いて表現したりした.
確かに必要なときもあるけど、ニセモノでは最後まで通用することはないよ.

ホンモノに対する欲がとても強くなったから、こんなこと言えるのかな.
自分の身の回りで、ホンモノかについての確認作業も去年はいっぱいしたし.

たぶん、半年後くらいに振り返ってみるとよりよく分かるはず.

自戒も含めて.


◆平静の心

今日はまず、彼の一生をさらっと.

1849年カナダ生まれ.
マギル大学を卒業後医師に.
35歳 ペンシルバニア大医学部内科教授
40歳 ジョンズ・ホプキンズ大学医学部の創設責任者
それから15年間 教育、研究、診療に当たった.

55歳 オックスフォード大 欽定教授に招聘
その後は、医学と人文科学の掛け橋となる役を果たした.
70歳 自宅で死去.


彼は医学部卒業が近付き将来の方針に迷っていた頃に、カーライルの以下のような言葉と出会い、生きる力をもらったのだとか.
『われわれの重要な務めは、遠くにかすんでいるものを見ることではなく、
目の前にはっきり見えるものを実行に移すことである.』

また彼は、自分の人生論をこう説いた.
『今日の仕事を精一杯やり、明日のことを思い煩うな』
『力の及ぶ限り、同僚や自分がケアする患者に、黄金律を実行すること、すなわち、己の欲するところを人に施せ』
『たとえ成功しても謙虚な心を持ち、慢心することなく友達の愛情を受けることができ、悲しみの日が訪れたときには人間に相応しい勇気を持って事に当たることができるような、そういう平静の心を培う』
カーライルの言葉もしっかり生きている.

まだ彼の歴史くらいしか読んでいないけど、少しずつ、少しずつではあるけど、
後の医療関係者が影響を受けた理由が分かってきた.
これはとても嬉しいこと.

さて、彼は、今から約100年も前に
「将来の医療は健康保持と病気の予防にある」
という言葉を残している.
先見の明もあるようだ.

相手にとって不足なし!
引き続き頑張って読み進めます!


では.
◆海に出かけた/斉藤和義

始まりの鐘が鳴り
君と海に出かけた
大きな橋を渡り
君と海に出かけた

流れるいつもの街
エンドロールのようだ
真夜中のパレードが
バックミラーに消えて行った

そしてさりげなく一日は行く
何かに恋する暇もないほどに

始まりの鐘が鳴り
君と海に出かけた
水に浮かぶ太陽
オレンジの波模様

そしてさりげなく一日は行く
あなたに恋する暇もないほどに
生まれたばかりの始まりは行く
あなたの願い事と同じだと思う


こんなのを聴きながら色々と本を読んだりした一日だった.
昨日届いた、
「平静の心」
「ご冗談でしょう、ファインマンさん」

上はまたあとで書こう.
下は結構久しぶりに読む.
ぱぱっと読み終わろうっと.

明日からはまた月曜日~.


◆久しぶりに

高校の同級生で、最後あたりに仲良くなった某Mさんと昨夜話した.
東京へ行くと言っていたのでそこいらの経緯をアバウトに説明.
あとは近況.

相変わらず可愛らしい声でふわふわした感じね.
銀杏散っちゃいましたけど笑

誉樹、ゆーた、篤快と会ったとかも聞いた.
世の中やっぱり狭いなっ.

あと、将来の話とか久しぶりにしたんだけど、
これまで、考え方の部分を人に話したことなかったから上手く表現できたかは微妙だ…
分かりにくかったかもね、ごめん.

まーとりあえず頑張ってるようで何より.
谷があったり山があったりするのは自然だから、しっかり抜いたらまた頑張って◎
応援してます.

また春にでもどこかでゆっくり話しましょう◎
春の楽しみが増えた、あはは笑


◆平静の心

2年前、知り合いの医師の
高田先生にこの本を薦められた.
あの頃はまだ考えが足らなかったのか手にとる気になれなかった.
でも今、ようやく読んでみようという気になった.
この遅さは取り戻せないから、その分理解が必要.

さて、この本は、William Oslerという医師の講演集である.
医療関係者にとっては、このオスラーの講演集は医の真髄を語るものとして受け入れられている.

僕は医学を学ぼうとする人間の端くれとして、種々の考えられるべき問題にこの機会に取り組もうと思った.
少しずつ読んで、明日以降、内容・考えを記していきます.


では◎
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誰かの冬の歌/斉藤和義
うー 今こんな気分(笑)


◆花粉症

やっと耳鼻科へ行ってこれた.小さいときから通っている、地元の耳鼻科へ朝から.

まずは、先生に挨拶.ご無沙汰でした.
色んな励ましの言葉や、からかいの言葉をもらいました♪
大きくなったねーって感慨深げ.

また落ち着いてから挨拶はゆっくり.
よし、これでクスリの準備はととのった!

やっぱりこれからは、花粉症はシンプルに耳鼻科に頼む事にします.
ノニジュースはもう良いわ.

今日はひたすら寛いでしまった….いいよこんな日も.
さて、とりあえずあと2週間やりきります.


では.
アゲハ/斉藤和義
を聴きながら.


◆文学的素養

ここにきて、これまで大して文学に触れてこなかったことが残念に思えた.

源氏物語の和歌で……
と言って話されると、ただへぇーと言うしかなかったり.
いつだったか友人に、小説だったり文学だったりをもっと読むよう勧められたんだけどな.

文学ね、
ちょっと薦めてよ.きっと読むから.

とりあえず、来週から文学ではないけど、
「平静の心」に触れてみます.


◆変わらない朝

遅くに起き、とりあえず朝から風呂.
目覚めだ.

食事は仕方ない、カロリーメイト1袋.ポテト味.
初めて食べた.うー、おススメはできない.母親が送ってこない限り、自分じゃ買って食べなかったに違いない.

近頃、小カロリーで自分の望むパフォーマンスができている.
これなら食事にあまり時間をかけなくて済む.体の現状への適応なのかな.
ありがたい.

何でもないメール、何でもない電話、……
何気なさが溢れてる.

いつまでこの“今”が続くかは知らないけど、
環境が変わっても、変わらない朝は欲しいなとか思ってしまった.

変わらないものなら信じられる.


◆芸術

秋のことだったと思う.
ある友人が、
how to remain an artist
という問題提起をした.

前にも、それ以来頭から離れず考えている旨を書いたと思う.

今では、僕は将来芸術家になりたいわけじゃないけど、“artist”でいたいと考えるようになれた.

僕の昔通っていた学校は、中学から美術の授業で西洋美術史を教えるという奇妙なことをやっていた.
おそらく今読んでも、大して分かりそうもない本だったのを覚えている.
その本で学んで興味深かったのは、芸術表現の多様性と、絵画の変遷かな.
今考えてみると、また読んでみたいなと思う.

芸術は、時間が経つにつれ、次第に自身の個性の表現を追求し始めることになった.
自己内部の世界を表現する、というか.

単なる自己表現を芸術と定義してしまうと、かなり広くにわたって芸術が存在することになってしまう.
この曖昧さは拭うべき.

したがって、以前に誰も示さなかったような形での自己表現とまで狭めてみる.
いくらかすんなりいく.
新しい形を生み出す、世界の表現.

僕がさっき使った、芸術家と“artist”という言葉は、この定義において対照的だろう.
新しさは含めていない.

僕は…というか、
ヒトは、日々様々なことを考えて生きている.
そして、その多くは、表現手段を持たない原石として燻ってしまう.

ここにきて、インターネットというインフラが整備された.
技術格差はあれ、表現手段は用意されたわけだ.
ヒトの最も本質的な部分である知的好奇心を満たし表現できる環境.

たくさんのartistが生まれた.いや、現れた.
ロングテールの部分の叡智は集った.

より多様な表現の可能になった「今」は、放っておいても豊かになるのでは?と思わせるほどに.

僕の思う個性は、
ある対象をどう感じ、どう思い、どう考え、そして最終的にはどう表現するのか?だ.

きっと、僕が好きだなと思う感覚は、この意味での個性に対してなんだろうな.

この人は、どう感じ、どう思い、どう考え、どう表現するのか?
もっと見てみたいな、って欲求.
すごく強い.

そして、好きな人、というと意味が狭まるから気に食わないが、
“好きな人”に対して、自分の表現をぶつけてみたいなという欲求もすごく強い.

言葉は悪いが、この受け皿が周りに幾らかある今を嬉しく思う.

斉藤の海に出かけたを聴きながらふと考えると、
なぜかワクワクしてきた.


また.