自愛の続きみたいになるけれど。
「自分の気持ちを大切にする」で間違っちゃう・・・
と言うか、ぶつかる壁って言うのかな。
私が書いている事は、
全ては自身が体験し感じて来た事です(*^^*)
自分自身の気持ちを大切にするって言う事は
ある意味、挑戦しないで諦めちゃうって事だよね。
子育てに置き換えても同じ壁にぶつかったんだけどね。
「子供の気持ちを大切にする」のはもちろん
大切なんだけど、まだ未体験の多い幼少時代。
そこで子供の気持ちを優先しすぎるのは
可能性を狭めてしまう事だと思うんです。
チャレンジしてみようって言う気持ちを
育むのも大切な事かなって思います。
それはもちろん強制とは違くて。
子供って結局は一緒に頑張ってくれる人を
求めているんだと思います。
親はどれだけ自分と一緒に頑張ってくれるのか?
そこを試されているような気もします。
要は愛情を試している訳ですよね。
でも一人で頑張らなくちゃいけないって
思ったら、そりゃ何事にも挑戦したくなくなる。
それをやる気のない子とか、
本人の気持ちを大切にしたいから・・・
とかで片づけるのは違うと思うんだ。
親は何のために存在しているのか?
多分、親は子供の応援団。
運動会見てると
応援団の役割って大きいなーって思います。
もちろん何の競技でもそうですね。
私は物心ついた時から
親のスパルタ陸上教育を受けて来たけど、
高校生になるまでずっと続いて来たんです。
よく耐えて来たなぁ~って思う事ばかりに
フォーカスしていたんですが、
続いたこと。そして
続けてきた中で得た感動や喜びは
本当に大きかったです。
9年間ずっと、町内や
学校の運動会で活躍できた事は
めちゃくちゃ楽しい思い出です。
これって親も一緒に一丸となって頑張ってきたから
こそなんだって思ったのです。
(父はアニマル浜口みたいだったから・笑)
言うだけなら簡単です。ホントに。
いい加減ピアノ練習しなさい!!!!なんて
叱り飛ばすのは簡単なんですよ。
いかにやる気にさせるか?
いかに楽しく練習するか?
いかに親と連携プレーで頑張れるか?
その辺だと思うんですよ。
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それと同じで、
自分に対しても同じことが言えるなぁって
思ったのです。
例えばですけど、
エンパスだから仕方がないんだょ・・・って
諦めたら、その越えた先でつく自信はいつまでも
ついて来ないと思うのです。
ホントに例えばの話だけど、、
エンパスやインディゴって言うのは
諦めるための言葉じゃない。
だから・・・生きづらかったんだね💛って言う
自己肯定の材料にはなるけれど、
だからってこの先を諦めていい訳じゃない。
(あ、実際はどっちでもいいんですけど)
なんのために肉体をもって
三次元に誕生させて貰ったんだろ??
肯定したうえで
挑戦してみる道を選ぶのか。
肯定したうえで無理しなくて良いょ・・
ってその先にある世界を見ないのか。
否定されたままじゃ頑張れない。
肯定されたら頑張れる。
私の場合、肯定材料が欲しくて
鑑定をうけた訳であり。
肯定して貰ったからには
頑張りたいわけですよ。
肯定って言うのはつまり
「自分を分かってもらえた。
理解して貰えた」って事ですから。
究極の癒しですよね。
癒す事が出来たなら、
そこで止まってないで次に挑戦してみたいです☆
まだ見ぬ世界を見るために・・(*^^*)
私にとって肯定は応援団かもしれません♡
子供にしてみても否定されたままじゃ
頑張れないですからね☆
あ、なにくそ!!!って子もいるかもだけど。
うちは完全に違います(笑)
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って、どっちでも良いんですけどね。
1つ前に書いた自愛も同じで
どっちの生き方を選ぶのももちろん自由だと
思うんですよ(*^^*)
ただ、私はこう生きたいなって思うだけ。
自分探求をして来て・・・
これまで他人軸だった事に気づけた私が
自愛とか、自分の気持ちを大切にするって
言うトコロに辿り着いた中で
疑問が生じぶつかった壁。
壁にぶつかったら壁を越えるために
何とかする訳で。
じゃぁこうしようって選んだ結果です。
あ、これが「自分の気持ちを大切にしてる」
って事になるのか(笑)
過去の振り返りなどをしてるおかげで
どんどん頭が整理されていきます。
その過程をシェアさせて貰ってます(*^^*)
溜め込んでると循環しないから。
書かせて貰ってます。
読んでくれてありがとうございます♡