「気づきの連鎖」な日々。
44年間も生きて来ると「初心にかえる、真っ新な気持ちで聞く耳を持つ」って事が中々できないもので。「私はこれまで頑張って来た!!」って気持ちが強いと、尚更凝り固まっているように思う。
でも「気づき」ってものは素直な気持ちになって受け入れた時、はじめて見えてくるものだったりする。今年1年間の経験を経て今の私は思う。
これからはどんな時でも「真っ新な気持ちで、素直な心でいよう」 それは自分だけでなく相手に対しても同じ「思い込み、決めつけ、そんな色眼鏡は外してちゃんと相手をみよう」と。
「私は既にできてる」って言う「思い込み」を取っ払わない事には一切耳に入って来ないし、「知ってる」のと「クリアできている」のとはまた別の話なのに、知ってるってだけでやれてる気になってた事もある。
今年は全てにおいて応用問題が多かったなぁって思う。そんな事はとっくにクリア出来てるよ!って思っていた事へ「応用編での抜き打ちテスト」みたいな。
ある場面では出来てるけど、こう言う場面になると出来なくなる...って事があるんだよね。でも出来てる方にフォーカスしちゃってるから、出来てない事は全く見えてないし、気づかない。指摘されても認めない、一体誰の事を言ってるの??私は大丈夫ょ...みたいな。 (断捨離®はそう言う面も浮き彫りにしてくれた)
ある友達が言ってた。その課題が本当にクリアになる直前、もう一度ガツンとお試しがやって来るんだよって。卒業検定みたいだね(笑)
よく何かのお勉強会に行くと、もう既に知ってるって話も沢山出てくるかもしれませんが、知ってる!!ではなく、真っ新な気持ちになってもう一度聞いてみて下さいって言われることがあるけど、まさにそれ。
ホント「私は出来てるから、私は知ってるから」って言う傲慢な気持ちが「成長、進化、目覚め」を阻害する。何に関しても「拘りを持つ自分」てカッコイイな~とか思ってる時期もあったけど、なんかソレももういらないな~って思う。
開けっ広げ~でウェルカム~で行きたいし、 今はそうしてても境界線をしっかり引ける自分がいるなぁって思える。拘りを持つことで、それを壁のようにして防御して来たように思う。そうしないと境界線を引けなかったんだなぁ...って。ウェルカムにしちゃうと溺れちゃう、流されちゃう、飲み込まれちゃう...みたいな。

今は全面降伏~~ヽ(^o^)丿な気持ち。なんだって良いよ。それでも「私はちゃ~んと今ココにいるから」誰に認められなくても私はココにいる。
そんなお試しの多かった今年にピアノを始めたのは偶然じゃなかったように思う。
全く知らない、左指なんて全く動かない。44歳になって0スタートで誰かに教えを乞う。楽譜すらもまともに読めない状態で苦笑する場面も多々。気恥ずかしい。
好きだけど苦手分野に挑戦している今は「真っ新に。素直な気持ちになって、恥ずかしさも超えて、全面降伏」って言うのかな。そんな行為は色々学んで来たつもりの私にとっては、けっこう勇気のいる恥ずかしい事でもあった。でも、今だからこそ、そこに挑戦出来たように思う。
そしてやってみて思う。こんな風にこの年になって「全く知らない」事をするって中々なかったなぁと。
挑戦!って言ってもマラソンなどの体育会系の事は経験者だからハードルはそこまでは高くなく。それでもやっぱり44歳の体にはそうとうキツイけど(^^;
娘は今、私の辿って来た道を辿っているけれど、私もまた逆に、娘の辿って来た道を辿っている今。(ピアノで)その道は様々な新鮮な景色や感情を見せてくれている。同じ立場に立たないと見えないものがある…。特に思い込みや決めつけが激しい私でしたから・・・。
今日で小学校も年内は終了。まだ今年はあと9日あるけれど、冬至を経て2016年を振り返る朝。
実り多きターニングポイントのような1年だったなぁ~。って今年の年末はマヤ暦的にも濃いサイクルなんで、気づきの連鎖はまだまだありそうだ(*^^*)
長文。最後まで読んで下さった方。ありがとう。