「感謝・ありがとう」の波動は
「愛」と並ぶ《最上級の波動》
って、よく聞きます。
これって、「言葉」だけを見ると
「お礼」の時に述べる言葉。
お礼って、当たり前だけど
「何かを受け取った」時に使う言葉。
つまり《最上級の波動》は
「受け取っている」ということを
認めていますよ~っていう波動。
でも、うわべだけ「感謝感謝!ありがとう!」って
言っているだけでは
本当の感謝=《最上級の波動》には
なり切れていないっていうことに気づく。
実は私たちは、「すでに全てを与えられていたんだ」っていうことに
深いところで納得したとき
本物の感謝が内側から湧き出てくる。
この地球に生まれ落ちた
そのことだけで実はすでに全てが与えられている。
この陽射しも
この風も
この鳥のさえずりや
車の音
人の話し声
水の音
家族の存在
周りの人たちからの優しさ
ご先祖さまからの愛
宇宙からの愛
すべてすべて
もう十分すぎるほど与えられていた。
でも、これ
気づかないと受け取れないんだよね。
気づいていない=受け取っていない=受け取り拒否していた
なんと!!
気づかないってことは、知らず知らずのうちに
受け取り拒否をしていたのだ!
ということに気づく。
与えることは同時に受け取ることでもある。
何か(愛でもお金でも情報でも)を与える時、
もうその時点で「与えるという”経験”」をさせてもらう相手がいる。
つまり、その「私が与えている」という【状況】を受け取っている。
それと同じで、
私が受け取ることで
相手も「与える」という体験ができる。
与えることで受け取り
受け取ることで与えている
つまり【与える】と【受け取る】は
自分の中で同時に経験している。
だから受け取り拒否をするということは
その感謝の循環を止めてしまうこと。
私発信で与えると同時に
「ありがとう」って気持ちよく受け取る。
そうやって愛を回していく。
与えるって、
「エネルギーがいるよね」
「なんなら疲れるよね」
って思ってたけど
既にもうたっぷり受け取っているというこに
気づいていれば=受け取っていれば
与えるためのエネルギーが枯れることはない。
だって”この地球に生を受けた”
それだけで全てが丸っと与えられているわけだから。
私の体も経験も、すべててが宝物。
だったら、もう与えることに何の制限もいらない。
出し惜しみもない。
私の体験してきたこと
経験・知識・知恵・愛・エネルギー・想い
を、届けていこう。
そして、「与えさせてくれてありがとう」って
感謝をもって受け取ろう。
それが愛を循環させるということ。