予感
壊れてしまいそうな予感
絶え間なく続く毎日この
胸に抱えながら過ごして来た
そっと次の日の現実を
覗いて見たりしては溜息ばかり
在りもしないものばかり
求めてみては傷つくたび強くなれると
信じていた
何もかもが変わり続けるこの世界そう
何もかもが同じように消えてしまいそうで
信じられるもの等あるはずも無い
どんなに深くあなたの事をおもっても
その思いさえ例外では無いのでしょう
私は立ち尽くしたまま
唯一人
孤独に
身悶えている
疲れた
今週は、忙しかった。
ただひたすらによどみなく忙しかった。
月~金曜日までが、学会&報告会。こんな毎朝早く起きて活動したのは久しぶりかもしれない。
どぉ~せなら某Kで開かれてるやつに行きたかったって言うのは、内緒(笑)
毎朝8時には、出校してましたから・・・ほんっとありえない。
しかも実験する時間もなかったし。
来週は、週末後半から学園祭だし?また進まないんだろうか・・・。
だんだん卒業できるのかドキドキしてきました。
今回、学会のお手伝いに参加してよかったことは、、、他研究室の人と知り合いになったことぐらいかな。
研究室にいるとどうしても見聞がせまくなるし、自分でもそれを望んではいない。
時々こぉいう機会があることは悪いことではないでしょう。日程さえ強行でなければ。。。
各研究室悩みはさまざまあるでしょうがまた来週からがんばって卒業を目指しましょう…♪
土曜日の夜は、難波で高校時代の集まりがあるそうです。
求めているもの
ほんっと、8月ウォークマンの故障とPCの初期化以来めっきり音楽に触れることが減っている。
機会は、自分でつくれといわれればそれまでだけど。やっぱり音楽は自分にとって、必要な要素の一つであることを再認識するには逆にいい機会なのかもしれない。
「不足しているもの」というタイトルのblogでも少し描いたが、「やさしさ?」「危機感?」
結局のところ答えなんてわからない…。ひとついえることは、何かしらの足りないものを見つけるために歌い続けるのかもしれない。人が生まれてきた意味を見つけるために生きるように。
近頃、桜井さんの描く詞に惹かれることが多い。
Mr.Childrenといえば、小学校高学年とか中学校時代によくよく好んで聞いていたけれど、あの頃といまでは同じ曲を聴いていても捉え方や、感じ方は当時とは全く違うものになっているかもしれない、特に詞において。22歳と12歳の約10年間のギャップの中でいい意味でも悪い意味でも得たもの、そして失ったものをかんがえると当然といえば当然なのかもしれない。
映画やドラマをみていつも想うことがある。
「死」をストーリの中で扱うものが多すぎる。「死」がないと感動できないのか。
その原因が、病気であろうが事故であろうが何であろうがあまりにも「死」という事象に付随するものに頼りすぎている節があると想う。他の手で、感動を導くこと、人の心に訴えかけることはできないのかと。
「カワイソウだから感動する!!」という人がよくいるが、僕自身まったくピンとこない。
むしろそれは、「感動」とは全く違う類のものなんじゃないかとさえ感じる。
「感動する」っていったいなんなんだろう??
誰も悲しみなんて求めていないし、もっと暖かいものを求めていると信じたい。
桜井和寿氏のHEROの詞でこんな言葉がある。
- 桜井和寿, Mr.Children, 小林武史
- HERO (初回盤)
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは
希望に満ちた光だ
まさに、これだと想う。
僕自身、生きていれば身の回りにいる人の「喪失」は避けられないものであると想う。逆に、せめて映画やドラマの中くらい「希望に満ちた光」を抱きしめることで、現実世界で光を見出せるような後押しになるようなものを求めている。
なんだか、すごくMr.Childrenが聴きたい。。。