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武道館




矢井田瞳さんのコーサートへ行ってみる。ダーリンダーリン~♪の、あの矢井田瞳さん。






矢井田瞳については、わたしにはなんとも言えないけれども、武道館へはこれが二度目。最初に武道館へ行ったのは、長渕剛がまだ細くて小さかった頃、やっぱり15年くらい前の昔、人に誘われて行ったわけだった。長渕剛についても、わたしにはなんとも言えないけれども、そのときはアリーナに入ったのだった。今回は一階席だったし、ポップスの女の子なんだし、あの長渕剛じゃないんだから、と高を括っていたが甘かった。立ち上がり加減はアリーナと変わらない。みんなとても楽しそう。





わたしはよく、自分がエレファントカシマシのライブに行くために一人割り当ての二枚のチケットを取って、いつも一枚を持余し、その都度あちこちへ声をかけて付き合ってもらおうとするんですけれども、ババを引いたひとは気の毒なのだな、ということが確認できた気がしないでもない。




すみませんね、本当に。




それがどんなにいい曲であっても、アーティストに陶酔していないと、ああいうのは無理なのだ。イエーイとか、無理なんだ。今日は本当にみんなー、ありがとうー。わーい、ありがとうー!!とか。









でもね、あのね、エレカシのライブではそういうのないんですよ。ほとんどの場合、会場には最初から椅子がないので、立っているしか選択肢もありませんしね。ファンはただ、ボーカルがむしゃらに歌っているのを大人しく立って聞いているんですね。それを強要されているような趣きさえあるわけなんですよ。余計なこと言うと怒ったりするんですから。間違ってもこっちにマイク向けて、「レッツ シンギング トゥギャザー!」みたいなパフォーマンスはないですから。





黙って腕を組んで、観てる。





武道館を埋めるアーティストのファンにはひんしゅくを買いそうなこのスタンスが、エレファントカシマシの正しい観かたなんですね。どうですか、そういう意味じゃ、もう、日本一周りを気にしないで気軽に参加できるライブだと思いますね、エレカシは。ええ。






来年も、どなたか、ババ引いてくださいね。宜しく。



年金暮らし

ま、いろいろありますよね。わたしは、あえて、払う派です。



払わないという選択は、毎月いくばくかの支払を放棄するかわりに、その老後、働くことも出来ない、身体の自由も利かない、年金もない無収入の老人になってしまうかも知れない、というリスクを選んだことになりはしないでしょうか?そういう人を知っていますか?惨めなんです。



払ったところで本当に貰えるのか、払った分が返ってくるのか、それは本当のことは誰にも分りませんけれども、払わなければ絶対に貰えません。わたしには働ける内に払ういくらかの金額よりも、働けなくなったときに貰えない数万円が大きなリスクに感じられます。




というよりも、段々大人になって、世の中のしがらみが増えてくると、年金は払わないと済まないことになるんですね。税金なんですから。どうせ、まともに暮らしていこうとする人はいずれ払うのですから、どうぞ若いときからコツコツと支払って、老後の年金が数千円でも増えれば、将来の自分にちょっとした御褒美が出来るのではないでしょうか。



今年中に正規のお値段で、もう一度



子供たちの冬休みも迫っていることもあって、自由に動けるのは今日しかなかった。水曜日はレディースデー。久々にお得に映画を観る。


「ミスター アンド ミセス スミス」は、とても面白かった。これはアクション映画というよりは、交際が長い男女や、若い夫婦の結婚生活の完璧なパロディーのはず。お薦め、三つ星。



スミス夫妻のファーストネームはジョンとジェーン。邦訳するなら例えば、「山田太郎・花子夫妻」というわけで、中味に照らすとこのタイトルも面白い。


予告編では、二人が「殺し屋」だということが売り文句になっているからして、ありふれた名前は本名とは限らず世を忍ぶ隠れ蓑なのかも知れないし、この映画を夫婦間の物語と捉えるなら、「ある一般的なご夫婦」という意味合いでもあるかのよう。わたしは完全に後者のつもりで観てきた。




この空気感は一度結婚したりして、ある程度経たないと理解しづらいんじゃないかなと思えるような箇所と、小ネタが満載だ。夫妻は組織に追われる身となり豪快に隣人の車を強奪して逃げる。ハンドルは夫が握っているが、運転がもどかしいので妻が代ろうとする。


しかし、夫というものは往々にしてそういう場合に意地になったりする。長距離を走らなければならないときとか、夫がいささか酒気帯びだったりする場合である。「疲れてない、疲れてない」と言い張る。飲む前は、「帰りは女房の運転だから」と言っておきながら、いざとなると「酔ってない、酔ってない」と言い張る。



ええ、ほんとに。ええ。




アンジェリーナジョリーの役柄は決してそういう性格ではないのだが、「これは主婦向きの車なのよ」と言って、この場に限って見事に夫をなだめすかしてみせる。とてもうまい。



今までに何人殺した?と夫が聞く。聞いてみると、人数が桁違いである。こだわらないから、と言うから結婚前に何人の男とアレしたかと正直な話をしたが、やっぱりこだわっている、というシチュエーションのもじりなのだ。この調子で次から次へと繰り出されるので、とにかく軽快に場面が運ぶ。



鍛え抜かれた二人なだけに喧嘩も派手だが、最後は譲り合う。ネタバレ過ぎてもいけないのでシーンの説明は残すけれども、徹底的な修羅場の後で、ついに離婚届けをテーブルに据えたものの「君がさきに判を押せよ」「いいえあなたが先よ」と、土壇場で決着をつけられない普通の夫婦のそれに違いない。



それが証拠に、妻はここで心からの涙を見せるではないか。




ブラットピットの役柄は、少々殺し屋としては妻に劣る。微妙に負けている感が、画的にいい。また、そうでなければシナリオも成り立たない。夫は妻の技量を見抜けないから彼女を「殺し屋」とは気付かないのであり、妻は夫がそれにしちゃ抜けているので、よもや「殺し屋」とは思わない。この読み違いがストーリーの始まりだ。実際、一般男女の結婚も、同じような誤解から始まることが多いのである。



映画は中盤、夫婦間のズレが明らかになるたびに、なにかしら滑稽さが自然と湧き上がってくる。リアルっぽい風刺を含んでいながら、実物大の夫婦と決定的に違うのは、つまりこの点だ。実際こんな風にこじれたら、滑稽どころではないというわけで。



では、なぜ映画では愉快なのかというと、いつもさり気なく主導権が妻にあり、その仕打ちに応じて夫が素直に反応するという前提があるからだ。


男女間の心の行き交いは、ほとんどの場合一往復ではない。そして、女は大抵の場合ノーコンである。ノーコンは罪じゃない。本当はそのつもりではないのだ。サーブがあらぬ方へ打たれたテニスボールに追いつき、彼女の打ちやすいところへボールを返してやるのが男のあるべき姿なんだぞと、この映画は語るのだ。



ひねくれて、またあらぬ方へ打ち返したら、そこで終わりか、さらなるいがみ合いである。見ていて愉快なはずもない。



「わたしのボールに追いついてくれる」その姿を見たとき、女は何度かに一回、素直なコースに打ち返しすことが出来たりも、する。



劇場を出て、トイレに並ぶと一緒の回を観ていたお姉様方が、感想を話し合っている。


「銃撃シーンが多くて、長く感じたわねえ」


なるほど、でも必要だったと思いますわ、と、口を挟むアレでも無いからやめる。







数ある印象深いシーンの中で、卓越していたと思うのはのは、自宅での最後のディナーシーン。



ブラットピットは赤ワインのボトルを、アンジェリーナジョリーの傍らでわざと手から滑り落とす。これが床に落ちたときが次の行動のきっかけになるのだが、彼女はこれを超人的な反射神経で掴み止める。





洒落た間合いが挟まれる。さまざまな含みが交錯している。このときも、夫はさり気なく妻に最初のサーブボールを投げ渡してもいる。




ふたつのかお


気がむいたので、はるばる有楽町まで足を延ばしてミュージカル「ジキルとハイド」を見てきた。鹿賀丈史とマルシアがこの演目で数々の賞を得たというお墨付き。初演は2001年で、今回は再々演だそうだ。初演で見ておけば、ハイドの迫力もまた違ったのかも知れない。





打ち明けると、わたしが本格的なミュージカル演劇を見たのは演劇部だった中学時代に劇団四季のキャッツを、四千円という高額をはたいて一番後ろのB席で友達と観たのが最初で、これが二度目なのだった。というわけで、本格的といったってブロードウェイで見てきたわけじゃないから、この先書くことも信用できないと思って下さい。まして、大人になったわたしはS席にいたが、子供の頃の感動は今の比では無かったという自覚もあり、こちらがすれたのかという疑いもあって、四の五の言うのは墓穴を掘るようだ。ミュージカルというジャンルはああいうものだろうか、とか。



役者の技量は疑いようもなく感嘆するばかりだった。鹿賀丈史がハイドに変わる瞬間の不気味な笑い声。人格が交互に現れながらの歌い分けは見せ場として大変なものだった。まずかったのは、脚本と作詞じゃないのかと、生意気にも思ったりする。舞台の上で人を殺すというのをあっけらかんとやりすぎていた事と、「人にはふたつの顔があるー」みたいなことをさもそれらしくコーラスする場面が何度かあっったりして辟易した。ああー、それをテーマにもってきたんですね、普通に。ねえ、そうなんですね、と心の中で念を押してみたが、以降、それ以上のことは歌われないようだった。



ドクタージキルとミスターハイドにはそれぞれ異なった階級の女性があるという設定は原作にはなく、様々な脚色のもとで何度が映画かされているうちに定番となったという解説がついていた。ずっと前に深夜のテレビでイングリッドバーグマンが娼婦の役についている白黒の映画を眺めたことがあって、そういうものだと思っていた。本当は原作を読まないで何か言ってはいけないのだろう。だってね、原稿料貰ってるわけじゃないから。そうでしょ。ええ。



日本版ミュージカルも定番に習い、二人の女性があった。医師という立場にふさわしい上流階級出の妻と、ふとしたきっかけで知合ったどん底に暮らす売れっ子の娼婦。設定が発祥であるだけに、これを大腕を振って使い切れば男の性的深層心理上の展開を土台に女の底意地まで、いくらでも拡げられるのではないかと思うのに、ジキルの妻は貞淑に終始し、ハイドの娼婦は一途と純粋の一点張りだった。そういうものなんだなあ、と思って眺めてしまっては、どうしても引き込まれるというまでに至らない。ちょっとくらい深い本でも、かの面々なら演じきったに違いないと思ったりする。



もうちょっと言えば、話しが単純に成らざるを得ないのは客層なのか、と勘繰ったりしてみる。おばさまが多いのだ。一階席一面おばさま。わたしもそのおばさまに片足か、もはや両足を突っ込んでいる身であってみれば、おばさまを卑下するつもりは毛頭ないのだけれども、作り手は観客が席を立ち際に「ねえねえ、山田さん、あのセリフはどういうことだったの?」と言う声が聞こえるのが、おそらく一番萎えるのだ。



出演者の歌もとても良かった。マルシアのソロでは、拍手を惜しむことは出来なかった。やっぱりまずいのは作詞なんだよなあ。ミュージカルの歌って、台詞にハクをつけて成り行きを説明することに費やすべきものなのかしら。そういう歌も必要だってことは分るんだけれども。



といいながら、来年は早々に「グランドホテル」の切符を確保してあります。少し勉強して出直そう。




振り込めセンス



わーい、わたしのうちに初めて振り込め詐欺がかかってきたよ!





望月夫さんの奥様でしょうか?

どちらさまで?


こちらは鉄道警察隊ですけれども、望月夫さんの奥様ですね?あのねえさきほど、車両内でご主人が痴漢の現行犯容疑で捕まったんですがね







そうでしたか。






それはもう、ありがとう。捕まえてくれてありがとう。いや、不覚にも笑ってしまった。そりゃもうギャクにしかならんな、キミ。企画練り直して、もっぺん出直して来い。


ブログセンス



わーい、わたしのブログに初めてトラックバックがついたよ。




記事のタイトル。

「サオだけではなぜ満足しないのか? ~女体の神秘からはじめるSEX学~」





楽しいんですね、ブログって。






さて、難しく考えることはない、それは粗チンだからだ。確かな回答はわたしが知っているから、わたしに聞きなさい。




マイブレンド


女は年齢を重ねてくると、ある種わがままになってくる。何かの店に入っても自分の気に入らないことが起こると一転、高圧的な態度に出て、人目の恥じを知らない。これは世に言うオバタリアンの典型だ。




近頃、ちょい悪オヤジというのが中年男性のキーワードになっているそうですけれども、まあ、ちょい悪オヤジの是非については今後のテーマに譲るとして、この機会にわたしと同年代の30代半ばの女性に、わたしは「ちょいオバねーさん」をお薦めしたいのだった。





それでは早速、オバタリアンとちょいオバねーさんの違いを説明しましょう。



オバタリアンはつまらないことですぐ、わははははと笑うが、ちょいオバねーさんは基本的に常に斜めに構えた微笑みを保つ。




オバタリアンは、納得のいかない世間の憂さに遭遇した際に、一旦自分を抑えておいて後で仲間内にうだうだと愚痴るが、ちょいオバねーさんは「あら、それ、どうしてかしら?」と、相手が何者であろうと、その場で咄嗟に問題提起が出来る。




オバタリアンは徒党を組むが、ちょいオバねーさんの行動単位は多くて二人である。ちょいオバねーさんは常に自由であることを意味している。




オバタリアンはお昼がくると、とにかくお昼を食べたがるが、ちょいオバねーさんは自分時計をもっているのでランチはお昼であることにこだわらない。





そして一番重要なポイントは、そんなクールなちょいオバねーさんであるけれども、いざ本当に自分が気に入らないことが起こったときは、一転オバタリアンと化し、高圧的な態度を辞さない。つまり、これが、それをちょいオバねーさんと呼ぶ本来の由縁だからである。





しかしながら忘れていけない事は、我儘を言って縦のものを横にした後、オバタリアンの〆言葉は「はじめからそうすりゃいいのよ」であろうが、ちょいオバねーさんの場合はこうである。







「無理言っちゃってごめんなさいねー」










さて、これは「カフェチェーンのお気に入りドリンクorフード」というトラックバッグテーマから書いているが、そのリンクから入ってきて、ここまで辛抱する人は皆無に違いない。とても残念だ。わたしはこれから、目からうろこのお薦めスターバックスメニューを紹介しようとしているのである。







ちょいオバねーさんは、ランチがお昼であることにこだわりもなければ、スターバックスコーヒーがコーヒー屋であることにもこだわらない。コーヒー屋で紅茶を出せという程度のお茶目な理不尽さは、ちょいオバねーさんの魅力の一つなのである。そして、ちょいオバねーさんは三十路であるから、ある程度健康に気を遣っている。ちょいオバねーさんは、紅茶はミルクティーで飲みたいのだ。






ところが、スターバックスのミルクティーといえば、「タゾティー・チャイラテ」で、これは砂糖が入っていて甘いのである。「あら、甘いの、なんで?」さあ、ちょいオバねーさん、咄嗟の問題提起である。





「チャイですから」




「あら、わたし、普通にミルクティーが飲みたいんだけど」

あっ、ここで、一転、少々高圧的な態度に出たらしくもあるちょいオバねーさんだ。





「そうしましたら、この紅茶のメニューからお好きなものを選んでいただいて、ミルクを入れますが、ダージリンがお薦めです」

「タゾティー・チャイラテの砂糖抜きにして下さい」

「そう、しましたらー・・、タゾティーにミルク50円追加する形でお作りしますが・・」

「ミルク50円?」

「・・ええ」

「じゃ、それで。無理言っちゃってごめんなさいねー」







この方法で作ってもらうミルクティーはスパイシーでさっぱりしていてとても美味しいですよ。説明すればどの店舗でも作ってくれます。スタバの人って本当、どの店に行っても対応のにこやかな人ばかりですね。



我が子の将来を考える



わたしはさほど自分が、自分の子供たちを間違って育てた覚えはないのだが、どうも二人のどちらの子供もピンとこない学校生活を送っているらしい。





今日は授業参観日だった。





いまどきの小学校では子供の人数が少ないこともあって、算数などは特に丁寧に教えてくれる。それは「習熟度別クラス」として、学年全体で本来のクラスとは違う組み分けをするのである。昭和の公立小学校には決してなかったシステムである。つまり、(覚えが早い子)(一般的な子)(覚えが遅い子)の三つに分けて、それぞれの子供のテンポに合った指導を心がけてくれる。




我が子はどちらも、(一般的な子)のBの程度であるらしかった。Bというところが、いかにもわたしの子供らしい。一般的ではあるが、Aではない。





それでも五年生の姉の方はまだ良くて、こちらはなにかと順当にこなしているらしくもある。目立ったとりえもない代わりに大きなブレもない。友達とも適当にうまくやっている。来週の日曜日には仲良しグループで、初めて子供だけで隣街へ映画を見に行くんだそうである。グループ内のどの子もやはり同じようなブレのない順当な子供たちである故に、「誰ちゃんは親に反対された」という話しは出ない。つまり、多少心配はあるものの、この子ならもうそれくらいの体験をさせてもいいだろうと、親が年齢に合った我が子の成長を認めている、そんなグループに姉はちゃんと所属しているのである。




四年生の下の子は男の子だ。こちらは、自慢になるけれども運動神経がよい。5歳半くらいまで、彼はウルトラマンだった。初めて海へ連れて行ったとき、押し寄せる波に向かって戦いを挑み、スペシウム光線を放ったことは、今でも我が家の語り草である。初めてみる広大な海の彼方に、なにか、怪獣が出てきそうな予感がしたのだろう。俺が戦わずして誰がやる。小さな男の子はよく「大きくなったら何になりたいか」という質問を受けて、TV番組のヒーローの名前を口にするが、彼らはそう答えたとき、まさにそのとき「ソレ」なのだった。



そんな長男も10歳になり、親の財布から札を抜き取るまでに成長した。




わたしがうっかりしていた。これは学校筋への情報が早くてわたしはすっかり先生に叱られてしまった。ご近所の人にも目をかけていただいて、我が子の知られざる素行を教えて貰った。言いにくいことなのに、その節は教えて下って、本当にありがとうございました。今後とも、本当に、宜しくお願いいたします。


これは相当に殴られてやってはいけないと分ったらしいので、それまで特に決めていなかったお小遣いを月に千円ほどに定め、一週間ごとに小分けして渡しています。






四年生の授業参観での授業は「社会科」であった。千葉県に住んでいるため、まずはご当地のお勉強。テーマは「千葉県の人口」だ。千葉県で一番人口の多い市は、県庁所在地「千葉市」だが、それに勝る勢いで人が増えているのが市川市、船橋市などの京葉地区である。ではなぜ、東京湾沿いの京葉地区に人口が多いのか、理由を考えよう。ハーイ。




「電車が沢山通っているから」

「高速道路が通っているから」

「デパートなどの大きなお店が多いから」

「働く場所が沢山あるから」

「マンションがあるから」




まあ、言ってしまえばどれも「東京に近いから」ということで済むわけですけど、みんなの答えは四年生としてとても正しい。




一番後ろの席で呆然と座っている我が子。わたしの目の前で手を挙げたことは未だかつて一度もない。低学年の頃までは、手を挙げろ、手を挙げろとジェスチャーで促していたが、もうそれはあきらめている。そういう性格ではないのである。




寄っていってノートを覗くと、一応、自分の答えが書いてある。





「人がやさしいから」





我が子よ手を挙げろ。手を挙げてそれを言いたまえ。そうしてはじめてわたしの子じゃないか。もういっそ、ジャニーズ目指そうと思うんですけど。



バチ当たりの構図



今年も残り少なくなって参りましたが、わたしの今年最大のテーマは栄養摂取です。ええ、そうなんです。



太ろうってことじゃないですよ。それは、もう十分です。




さて、それにしてもアレですねみなさん。ここから全く脈絡の無い話がはじまろうとしていますが、どうですか、ほら、結婚式だ、葬式だというと払わなくちゃならないアレ。袱紗からそそと出して受付に置いてくるアレ。アレのお返しっていうものまた、もう、大体がつまらないアレですよね。お茶のセットとか、のりとか、皿とか、かつおぶしとか、タオルケットとか。




だけど、わたしも何度か当事者になって返礼品を選ぶ側を経験しましたが、仕方ないんですわ。ほんともうしまいには面倒になって、ある程度用意された品物の中から金額だけで選んでしまう。でもねえ、一応は悩んでいるんですよ。式場が用意したありきたりなモノの中でも、出来るだけ内容のいい物を選んで差し上げたい、とは思っている。でも所詮、先方が本当にありがたがるモノを選ぶことは出来ないワケですね。





ところが近頃はなんですか、近親者が少し多めの金額を置いてきたりすると、即日取っ払いの引き出物や返礼品の想定の範囲外の金額分、先方へ後から返礼品のカタログを送りつける場合があるじゃないですか。ありますよね、分りますよね、わたしの言ってる事。





カタログ冊子の後ろに葉書が付いていてね、そこへ商品コードを書いて送ると、かの返礼品として自分が好きなモノが送られてくるという、いかにも現代的なシステム。





そういう流れになってきている、ということは薄々勘付いてはいたのですが、まだ少し世間には馴染まないだろうと疑っていたのですね。ところが、とうとう、この噂のカタログが届きましてね、うちにも、ええ。危惧に反してこれは案外、嬉しいですね。嬉しいですよ、これ。わーい選んでいいの?っていう。すみからすみまで見ちゃって、どうしようーかなーつって。葬式の香典返しなのに、すっかりハッピー。




内容も豊富で、折りたたみ傘とかパジャマとか、自分じゃ買わないようなゴブラン織りとかいうバッグとか、果ては望遠鏡だとか裁縫セットとか選択の幅は広い。長い時間悩んだのですが、わたしが選んだのはこれ、「有名レストラン ランチ二名様ご招待お食事券」。選択上手なわたし。





チケットは半年くらい前に手元に届いたのですが、なんとなく忘れかけていて、有効期限が近づいて幸いに気が付いた。食べに行かなくちゃ意味がない。それで、今日、近所のお友達を誘って食べてきましたよ。美味しかったのです。そんなことで、豪華メニューの紹介に終始いたしましょう。








舞浜

とある、テーマ型ショッピングモール内。クリスマスモード一色。雪もチラホラ。









ランチ1-1 ランチ1

「豪華なんとかのサラダ」と、「なんとかのゼリー寄せ」前菜。






ランチ2-2 ランチ2

「甘鯛のくるみなんとか」と「鱈と白子のなんとか」魚料理。






ランチ3-3 ランチ3

「牛フィレ肉のステーキ」と「鹿肉のなんとか」メインディッシュ。






ランチ4-4 ランチ4

「カスタードプリンとなんとか」と、「ジェラートの盛り合わせ」デザート。








どれも左が友達チョイスで、右がわたしです。どの皿も「なんとか」と付いていますが、当然、そこには本来、調理法としての専門的な用語が付帯しております。覚えてない。








ごちそうさまでした。しかしながら、忘れてはいけないのが、これは香典返しです。

故人様のご冥福をお祈りいたし・・・。




ちいさなおばあさん、ちいさなくれよん





今日は「我が子にも読ませたい絵本」、というトラックバックステーションです。

なんかあれですか、はまってますか?わたし、ブログにはまってますか?




ただ、絵本、というのは「読ませたい」というよりは、子供と並んで一緒に開いて読んで聞かせるのだと思うのですが、すると、ここでは賢い子は絵本年齢から自分で活字をサクサク読みますから、という前提がおありだったでしょうか?(お客様、お支払はご一括で宜しかったでしょうか?的な、ニュアンスで)





経験的には、「子供に読んで聞かせたい絵本」ということにしてお薦めするほうがいいと確信しますので、そうしましょう。







わたしの我が子はもう10歳と11歳のいいお年頃で、既に絵本年齢ではありませんが、幼稚園までの小さな時にはよく寝かしつけるために絵本を読み聞かせましたよ。




絵本選びは「子供のウケがいい」ということも条件のうちでしょうけれども、子供は一旦気に入ると繰り返し繰り返し聞きたがるので、同じ話しをうんざりするほど読まなければなりません。なので、親である自分が内容に納得して、且つ読んでいて楽しいことが実は第一条件だと思います。






ということで、わたしからふたつお薦めします。







絵本-1


いちご畑の下の地中深くに穴を作って、一人暮らしをしているおばあさんの物語です。ものすごい設定ですね、興味がわくでしょう?おばあさんの生活はしんみりとしていますが、それでいてとても明るい。


時期がきたいちごに、赤い色を塗るのがおばあさんの仕事です。それがなぜおばあさんでなければならないのか、物語を読んでいるうちに段々分ってきます。





読み聞かせのポイント

1.おばあさんの台詞は、先ずは普通におばあさんになりきって読む。とてもいいおばあさんなので、子供たちは、ヨタヨタのおばあさんが苦労していちごに色を塗っているところで、ハラハラしてしまうことでしょう。





2.それに飽きてきたら、悪いおばあさんのようにして読む。おばあさんはとてもいいことを言っているのに、しゃがれ声でマイナーコードの抑揚をつけると、なにか企んでいるような腹黒いおばあさんを演出できます。場合によっては子供は「そんなのちいさなおばあさんじゃない!やめて!」と、泣き出すかもしれませんし、ゲラゲラ笑うかもしれません。その反応を見て、我が子の世の中の矛盾に対する寛容度を測りましょう。





3.子供が読んで読んでとせがむのだけど、お母さん自身がちょっと飽きてきたら、意味もなくヒップホップ調に読んでみましょう。子供たちが喜べば、それはそれで楽しいです。子供はそんなつまらないことが大好きです。つまり、お母さんがやるから楽しいのですね。










絵本-2


これは子供たちが通っていた幼稚園で、園長先生が薦めてくれた絵本です。なにかの記念行事の際に、当時の在校生家庭数に一冊ずつ下さったのです。黄色いくれよんが、ちいさくなってポイと捨てられてしまうところから物語が始まります。つまり、くれよんの冒険なのですね。




やさしい、ちいさなくれよんちゃんは、物語のおわりに暗くなった空を見上げます。すると、自分と同じ黄色にキラキラ光る星がある。それを見てふと、くれよんはつぶやきます。






泣けますよ、コレ。









読み聞かせのポイント


1.普通に読む


2.悪いくれよんちゃんバージョンで読む


3.意味もなく、ヒップホップ調で読む