ウイズ東淀川9月レポート | ウイズ東淀川のブログ

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平成6年7月から、東淀川区において結成された、コミニケーション・ボランティア・グループです。
奇数月の第二日曜を定例会とし、【共生】を理念として、共に語り・共に学び・共に遊んでみませんか「をキャッチフレーズに、誰もが集える」場を提供しています。

テ ー マ:新しい世界との出会い。ボランティア「CVJ」などとの出会い。
パネラー:田村 智子「たむら さとこ」氏 「管理栄養士」

 

 9月9日田村智子氏をお迎えし、ウイズ定例会は開催されました。
 こんにちは、本日お招きいただきました田村智子と申します。よろしくお願いします。
ご紹介いただきましたように管理栄養士です。西区にあります大野記念病院という所で、
短大を卒業してから40年間働いてました。4年前に定年退職しました。退職後、
あることがきっかけでボランティアを始めたんです。私が病院勤めをしていた時は、
主に透析の患者さんの栄養指導をしてたんです。もちろん、糖尿病患者や腎臓病の
患者さんの栄養管理もしていました。透析患者の中には糖尿病から透析になられる
患者もおられて、糖尿病の合併症というのは、「し・め・じ」って言うんですが、
しは神経障害、めは視力障害、じは腎の障害、だいたい、神経障害が出てきて→
視力障害も起こって→腎臓が悪くなる。というような経過をたどる人が多いんです。
 現役のころ、「この方視力障害もあるんだな」ぐらいにしか思ってなくて、
食事なんか誰かが作ってるんだなあぐらいの思いでした。

 

 定年退職するまでは、朝9時から夜の11時ごろまで仕事をしていて、
定年退職した日に空を見上げると「えっあおぞらってこんなにきれいなんだ」と
感動しました。これから自分はいろんなことしよう!と思いました。

 

<<経験したことのない世界へ>>
 いろんなことをする中で、高校の同窓会に出かけたんです。自己紹介の場面が
あったんです。私の隣に座っていた方が、知的障害や視覚障害のボランティアで
サイクリングをしている。と聞いたんです。「今度淡路島に行く」とおっしゃったので、
自分は淡路島出身だし、「連れてってください。」と言ったんです。ところが、
実際は島なみ海道だったんです。視覚障害者や知的障害者とサイクリングをすると
言われた時に、どのように介助するのか想像もできなかったんですが、現場に行くと、
二人乗りの自転車「タンデム」が置いてあったんです。
田村さん、「前に乗ってください。後ろに視覚障害者が乗ります。」と言われました。
普段からそんなに乗ってないし、サドルも高いし、練習もあまりやってないので、
その時は乗りませんでした。一人乗りを使いました。私は、休憩などの時、
障害者の介助として、トイレなどの援助をしました。このツアーは一泊泊まりなので、
夜には皆で歌を歌ったり、夜店が出たりなどお楽しみコーナーがあるんです。
ダウン症の子や知的障害の子などすごいはしゃいで楽しんでるんです。
私は目からうろこでした。視覚障害のMさんなんかも一度トイレに案内すると
後は一人で行くことができるんです。お風呂に一緒に入っても蛇口や
シャンプー・リンスなどの配置を一度で覚えて一人でできるんです。
これもすごい驚きでした。自分を振り返ってみると、今までこういう方と
接してなかったと気づきました。
 仕事では、透析患者で失明された方は知っていますが、その人達とちゃんと
接していなかったなあと思いました。CVJ副代表の大島さんが、
「また、来年も来てください。」と言われた時に、「来年来るだけではあかんやろう。」
と思って、CVJの会員になりました。

 

<<ボランティアで台湾へ>>
 CVJの活動のなかに台湾の視覚障害者と日本の視覚障害者が、交流する活動があり
参加したんです。その時はすごい雨でしたが、それでも走るんです。
私は「こんな雨の中では、「何にも見えません」と言ったら、
「僕はずっと見えていません」と視覚障害者が言われたんです。すると、
どばーっと笑いが起きたんです。そんなことがあり、もっと知的や視覚障害者の中に
入って行けたらなあと感じました。
視覚障害の中にもいろんな方がおられまして、たとえば、先天盲の方や
中途で見えなくなった方と失明の原因は様々です。

 

<<就職活動の時にも視覚障害者と出会っていた>>
 金襴短大を卒業して病院の栄養士になりたかったんですが、病院の栄養士の募集は
少ないんです。看護師さんはたくさんの方が必要ですが、栄養士は病院に一人か二人
いればいいんです。就職活動をしていた時に、大阪府立盲学校から産休代用の募集
「4月から7月まで」があったんです。小・中・高の学生が居て、寮もあり、
朝昼晩の食事を作ります。そこに短期で就職したんです。引き継ぎの仕事なので、
献立はあるし、食材の発注作業をしたり、調理人に説明したりなど、
卒業したての自分にもできる仕事でした。
 盲学校のお昼休みは「シーン」と静まり返って、何も音がしないんですね。
なんで、皆遊べへんねんやろうと思っていましたら、「皆さん目が見えないので」と
言われました。その時はふーん。そうなんやと思っていました。ある日カレーを
作ったんですね。授業を終えた男の子が顔がくっつくほど近ずいて
「うわー、カレーや。」飛び上がって喜んでたんです。その時涙が出てきました。
でも、それはそれで終わってたんです。このような視覚障害者との出会いが
あったんですが、40年間病院の管理栄養士を勤めました。ところが、退職後
タンデムを通じて、視力障害の方と知り合って、これからの人生を
ボランティア活動をして行こうと思いました。

 

 サイクル・ボランティア・ジャパン「CVJ」は自転車を通じて、自転車の楽しさを
伝えて行きましょう。という団体です。CVJの方たちと言うのは、若い時に自転車で
世界一周したりした人も多く、自転車の楽しさを多くの人に伝えたいと思って
おられます。世界各国を回った時に、いろんな人に助けられたので、自分たちも、
今度はお返ししましょという団体なんです。具体的には、知的障害の方や視覚障害の方に
自転車の楽しさを実感してほしいと活動しています。正直言いまして、目が見えないのに
なんでいろんな所へ行くんだろうと思っていました。話をすると、風を感じたり
季節を感じたりだとか、スピード感を感じたり、とかで、そうや、
自分らと一緒なんやときづかされました。
 また、CVJでは、東北へのボランティアにも行っています。阪神淡路大震災の時も
私は管理栄養士として西宮の駅から2時間ぐらい歩いて、避難所でお味噌汁を
作ったりしました。

 

筆者からの感想・・・仕事一筋で、リタイアされた方の人生の過ごし方の一例を
語っていただいたような気がしました。このような方が増えて来ることが
豊かな「共助社会」の具現化したものでもあると感じました。