「魔女」と叫ぶ --セーラム魔女裁判 1692--


歴史観シリーズ


 ----------先の判例と苦痛、哀悼がまさに当時の闇であった。私達はまるで雲の中に踏み込んだかのように、歩むべき道も空も見えなかった。----------(ジョン・ヘイル牧師)


 第1章  恐怖の風潮


 1692年8ヶ月にも渡りエセックス地方では魔女狩りが行われた。3月から9月まで、何百人もの人々が抗議を叫んだにも関わらず。117人の女性と39人の男性が告訴され、刑務所に入れられた。わずか4ヶ月以内に14人の女性と5人の男性が首を吊られ、一人の老人が死に追いやられた。


 それはただのニューイングランドの突発的な魔女ヒステリーではなかった。

16人が明らかにこの罪で処刑され、更に数百人が過去45年の間に告訴されていた。


セーラムは魔女裁判が起きた地として最も有名である。世界の魔女狩りの歴史の中で時期的に最も遅く、比較的短期間であった。しかし当時の目撃者が多くその様子を書き残していたため、これほどまでに有名になったと考えられる。


 17世紀当時ほぼ全ての人々が”目に見えない魂の世界”として、魔術や超自然的な力を信じていた。

1604年、ジェームズ一世による英国議会で初めて魔術を行う事が罰すべき犯罪であるという法案が通った。ピューリタン達は「なんじ魔女を生かしておくなかれ」(エジプト記22:18)という聖書の掟をマサチューセッツの海岸植民地に彼らの古い伝統と共に持ち込んだ。


魔女とは、彼らの邪悪な行為によってサタンに仕える誓約を結んだ者であり、彼らは空を飛んだり、超自然的な芸当をする特別な力と引き換えに、悪魔の本に署名することで契約を結んだ者たちである。と考えられていた。


牛の突然死や、子供の病気、事業の失敗は彼らの悪さのせいだと思われた。人々は何故彼らの隣人のうちの何人かは告訴され、それ以外の人はされなかったのか不思議に思ったかもしれない。しかし彼らが魔女の存在そのものに疑問を抱くことはなかったのである。