【お薦めシングルレビュー 21】 もはや”ジャンル”と”世代”を超越して幅広く浸透した名作! | 歌謡曲(J-POP)のススメ

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音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 いつも長ぁ~い前フリばっかりというのも何ですから、今回はいきなり作品紹介からいってみましょう。この曲でーす(


「襟裳岬」(森進一)
作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、編曲:馬飼野俊一

[1974.1.15発売; オリコン最高位6位; 売り上げ枚数46.2万枚]
[歌手メジャー度★★★★★; 作品メジャー度★★★★; オススメ度★★★★]



 こういう風に「ご当地ソング」として自分の住む町が取り上げられると、普通なら喜ぶものだと思うのですが、この「襟裳岬」の場合は地元住民とかなり揉めました。♪ 襟裳の春は 何もない春です という歌詞を文字通りに受け取った地元住民が「”何もない”とは失礼な・・・と怒りまくったというものですが、作詞を担当した岡本おさみセンセが言いたかったのはもちろん、「襟裳の地には物質的な豊かさはないけれど、心が豊かになるいい所ですよということです。私なんぞは、「襟裳の特徴を短い表現で見事に表してるなぁ」とただただ感心するばかりですが、地元住民が屈辱的に感じてしまった心情というのも、まぁ分からないこともないです。しかし、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」じゃないんだから、「森進一がわざわざそんな風な中傷ソングを歌うはずないでしょ」と、もう少しだけ想像力をはたらかせてほしかったですねぇ・・・。“言葉”というのはつくづく難しいものだと思います

 この作品を聴くと、吉田拓郎の曲というのはつくづくフォークでも演歌でもなく、あえて言うとすれば、「吉田拓郎」というジャンルの曲だということが分かりますねぇ。「音楽をジャンル分けする」という作業が、音楽の本質とはいかに無関係で無意味かということを、吉田拓郎がせせら笑いながら提示してくれているように私は感じます

 この曲のヒットで、森進一が、“コテコテのムード演歌の得意な実直な歌手”という硬直したイメージを自ら“修正”して、ファン層を広げたことは間違いないところでしょう。今でこそ、演歌歌手が演歌系以外のアーティストから提供された作品を歌うことは珍しくもなくなりましたが、40年前の歌謡シーンでは、従来の森進一ファンと拓郎ファンの若者の双方からそっぽを向かれる危険性が十分ありましたから、かなりリスクの高い賭けだったと思います

 
森進一は、その後も演歌系以外のコンポーザーに作曲を依頼。「冬のリヴィエラ」(1982年、作曲:大瀧詠一)、「紐育(ニューヨーク)物語」(1983年、作曲:細野晴臣)、「モロッコ」(1983年、作曲:筒美京平)などをリリースしています。新境地に挑んで我々の耳を楽しませてくれる、彼のプロとしての真摯な姿勢にはとにかく頭が下がるばかりなのです・・・

 ところで「襟裳岬」というタイトルの作品、実は2曲あることをご存知でしょうか・・・
 島倉千代子が1961年に発売した「襟裳岬」は、森進一の作品とは“同名異曲”の関係になっとります。そして何と1974年暮れの紅白歌合戦では、トリで島倉千代子と森進一が「襟裳岬」を歌うという特別企画があったらしいんですよ当時私はまだ9歳。両親と一緒に紅白歌合戦を見ていたのは間違いないけど、トリ対決まで起きてられずに寝ちゃってますね・・・まるで記憶にナシ

 いやしかし、これはリアルタイムで見たかった名対決ですよねぇ・・・ざんねーん
  ・・・ちなみにこのとき絶唱中の森進一の“社●の窓”は全開だったそうです・・・。慌てた村田英雄センセが、間奏中に森進一に駆け寄ってチャックを上げてやるという微笑ましい()名場面もしっかり見逃してるよぉ・・・あ~ぁ、ショック倍増・・・ やー、実に人間らしくって好感の持てるエピソードですなぁ

 「こいつのブログは、やっぱり
最後はこういうアホな終わり方なのか・・・」とあきれた方、どうもすいませんm(_ _ )mその通りです。読者の方々も、エエ加減そろそろ馴れてもらわないとなぁ・・・(←完全なる開き直り)。

 それでは、またお逢いしましょう~