8/7

夕方に私は父の病院に行きました。
体はキツそうでしたがトイレには1人でテキパキ歩いて行っていましたし、痛みのコントロールも出来ていたので木曜ぐらいに退院の話もしていました。

夕方、父にまた明日ねと行って私は家に帰りました。

帰ってから父から電話があり夜ご飯全部食べたと言っていて、明日来る時に醤油を買って来てと言われ電話は切りました。電話の声も元気でした。

私は休みだったので、レイトショーで「君の膵臓をたべたい」を見に行きその帰りに父が行く飲み屋さんに寄り話をしました。

家に帰って1時30分ぐらいに寝ました。

携帯はマナーモードにしていたのですが、電話に気がつきました。

病院から電話があった時間は3:24でした。

電話で病院から言われた内容は「父がトイレに行きその時に倒れて1回心臓が止まりましたと…ご家族の方すぐ来てくださいと…」

電話を切り慌てて兄の部屋に行きました。
兄は仕事が残業だったみたいでまだ起きてました。兄に伝え、慌てて家を出ました。

電話がかかってきて家を出たのは5分もかかっていません。

病院までは夜中だし10分もかからないで着きました。

父の病棟に行くとナースセンターの横の治療室に父はいました。

たくさんの機械を付けられ心臓マッサージや呼吸のポンプを手で押していました。

父が危篤なのに私達は中に入れてくれず触らしてもくれませんでした。すぐに扉は閉められました。

そして少し離れた所から父が処置されているのが見えたから見ていたら看護士さんが来て待合室で待って下さいと言われ見させてくれませんでした。

その時に待合室に案内した看護士にどうしてこうなったか聞くとその看護士は「トイレに行って急に胸が痛いと言って」と言ってました。
電話では転倒したと言われましたけどと言うとトイレには看護士2人が付き添っていたので転倒はしていませんと言われました。

父は入院してからトイレに行く時は看護士を呼んだ事はありません。

しかも病室の中にトイレはあるのでしかも父はトイレ側だったのでかなり近かったです。

夜勤は看護士少ないのに1人で歩けてトイレに看護士を呼んだことのない父に2人も看護士が付くのはおかしいなと思いました。

電話では転倒したと言っていたのに…。

担当医が走って来ました。

そして担当医からの説明がありました。

心臓のレントゲンを見せられ、心臓がかなり大きくなっていました。

心臓の血管が切れてこんなに心臓が大きくなっていますと…。

今は点滴や機械で心臓が動いていますが脈もほとんどないです。と言われました。

目も、もう光を当てても反応ないと言われました。

点滴と機械を取れば心臓は動かなくなりますと…。

もう助かる見込みはないと…。

そしてやっと父の近くに行かせてくれました。

足を触ると冷たかったです。

声をかけても反応はもちろんありません。

機械や点滴をはずすとだんだんと心臓のメーターは下がってきてあっとゆー間に0になりました。

4:35死亡時刻です。

死因は胸部血管破裂による出血性ショック死でした。(後日病院に詳しく聞きに行きました。また書きます)

葬儀屋の手配をし、霊安室で葬儀屋さんを待ちました。

葬儀屋さんが来て葬儀場へ行きました。

お寺さんが枕経をあげに来てくれました。

友人や親戚に電話しました。

父が膵臓癌だと言っていなかった親戚もいて、何でもっと元気なうちに電話して教えてくれんかったん?会いたかったと怒られました…。

父はまだ元気だったからもう少ししたら言おうと思っていたのですが…。

急に亡くなったのでと説明はしましたが…。

8日の昼間に父が行く飲み屋のママと従業員の女の人が来てくれました。

私と兄は家に一旦帰りました。

それから、飲み屋のママはお店の準備があるので帰り、従業員の女の人が残ってくれました。その後、父の親友が来てくれて交代で父の側にいてくれました。

夜はすしざんまいで単品メニューを頼みました。

父の親友の子ども来てくれて4人で食べました。

その後にお線香あげに何人か来てくれました。

夜は遅くまでみんなで話しみんなは帰りました。

兄とあたしは泊まりました。

お寺さんの都合で8/9が通夜で8/10が葬儀になりました。

通夜、葬儀の事はまた書きます。