偽物と本物のスピリチュアル
私はスピリチュアルに一時期はまりました。
ワクチンの嘘に気付き、それまで「まさか嘘は言わないだろう」と信じていた厚労省の見解が信じられなくなったことがきっかけです。
大きなショックを受けて、心の支えをスピリチュアルな世界に求めてしまいました。
それまでの現実や数学的なことが信じられなくなり、真逆の世界にすがったわけです。
しかし、スピリチュアル界隈も、よく調べてみると、集金ビジネスの温床でした。
様々な偽物をより分けて、これは大丈夫と思えるものを見つけていくのに、かなりの時間がかかりました。
残ったのは、結局、大昔からの信仰です。
古来からの信仰
日本では古来から穢れを嫌います。
特に流血は血の穢れとされていました。
血の穢れに触れた者は自宅で潔斎しなければならず、神域や公の場に立ち入ることが許されませんでした。
平安時代では、政治家(公家・貴族)が参内する途中で、動物の死骸を見つけただけでも、仕事を投げうって自宅へ戻り、潔斎して穢れを払わなければなりませんでした。
血が流れることは、生命の源が流れ出ていくこと。
生命の源が体から流れ出ていくのですから、恐ろしい「穢れ」とされたのです。
これは神道だけではありません。
仏教の「戒殺生」「女人禁止」にもこの考えが下敷きになっています。
また逆に、古来の日本人は、力強い生命力や、強力な誓い、誠の気持ちや言葉を「赤々とした」「赤き心」「あきらか」などと表現し、尊びました。
「真っ赤な嘘」は、「あきらかな嘘」という意味ですよね。
「それが嘘だということが真実」なのです。
赤は血の色であり、生命の色であり、太陽の色でもあるため、尊ばれました。
同時に、人々が力をなくす流血は忌み嫌われたのです。
最大の穢れ
仏教(密教)でも女性の月のものを穢れとしますが、これも流血の穢れからきていると思われます。
武家社会になっても、殿中の刃傷沙汰はご法度だったことを知っている人はまだ多いでしょう。
忠臣蔵は史実がもとになっていますが、浅野内匠頭は、殿中の規則を破ったのと同時に、この穢れを作り出したこともあって、厳しい処罰を受けたとも解釈できるのです。
流血の穢れは、日本人なら回避しなければなりません。
災害や事故や病気なら仕方がありません。
でも、若い人々を戦地へ行かせ、命を無駄に散らすことは、できる限り防がなくてはなりません。
そのために、外交があるのです。
戦争は大量の流血が伴います。
戦場になった大地も、爆撃や化学兵器で荒れ果て、穢れます。
魂を守っても、魂が宿る身体をなくし、次の命をはぐくむ国土を穢してしまっては、その魂の寄る辺がなくなります。
外交力が流血を防ぐ
戦争は外交の手段の一つですが、外交の失敗でもあります。
国が持つ最後の手段が国民の命をかけた戦争なのです。国防力を上げることは重要ですが、国防は外交がまず先にあるのです。
安倍首相があれだけ世界から尊敬を受けたのは、この外交力が高かったからです。
外交力とは、戦争を回避する力なのです。
戦場へ行くのはあなたではない
仮に戦争が起こった場合、戦場で実際に戦うのは若者です。
訓練を受けた自衛隊員です。
ウクライナでは、ロシアとの戦いでウクライナの軍人が壊滅し、途中から外人部隊が中心になりました。
自衛隊員をそんな目に合わせようとは、日本人なら誰も思わないはずです。未来のある若者を戦わせて血を流すことは、最後まで避けなければなりません。
それが「日本を守り、浄化する」ということではないでしょうか?
祈りとは
今までに様々な宗派の教えに触れてきました。
教えに対する様々な考え方にも触れてきました。
その中で私が知ったのは、祈りとは形式ではないということです。
そして、祈りに込めた願いを実現するには、どうしても現実への働きかけが必要になるということです。
神々は祈りを聞いてくれますが、その実現は人間自身に任されているのです。
ああ弟よ 君を泣く
君 死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば 親の情けは勝りしも
親は刃をにぎらせて 人を殺せと教えしか
人を殺して死ねよとて 二十四までを育てしか
与謝野晶子
日本のために祈るなら、今こそ、この嘆きを繰り返さないように祈り、実現させようとする働きかけが必要ではないでしょうか?