IEの画面がバグって芋という文字が消えなくなったので、
芋を解説しろという天意かもしれません。

牛に牽かれる善の者を導く光の善光寺。
>昔、長野の善光寺近くに住んでいた不信人で欲深い老婆が、
>さらしていた布を隣の家の牛が角に引っかけて走り出したのを見て、
>その牛を追っていくうちに善光寺にたどり着き、
>それがきっかけで度々善光寺に参詣するようになり、信仰の道に入ったという言い伝えから。

ラ神論(米をはかるラ神論)
http://kamikotokai.com/005/
芋の教えの部分
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?PHPSESSID=a05mq97d921fpr4vproukqbli0&search=%B0%F2&x=0&y=0

創造神は言葉で仕組みをなされた偉大な方。
人は言葉を仰ぎ見よ。
http://kamikotokai.com/003/


>九つ花の「米」教の締め切りに間に合わなかった方、「米」教は難しかった方でも、
>みろくの神を神とするだけで、救おうと言うのがみろく神の「薩摩芋」の教えです。
>その芋の教えには難しいものはありません。ただ「○十」あるのみです

>九つ花の「米」教の締め切りに間に合わなかった方、
>「米」教は難しかった方でも、みろくの神を神とするだけで、
>救おうと言うのがみろく神の「薩摩芋」の教えです。
>その芋の教えには難しいものはありません。ただ「○十」あるのみです

>私は何度も言いますが、誰がこんな仕組みをなされて来たのか?。
>そのことに気づいて、この神の偉大さを知ってください。
>自分が「みろく神」ですと名乗る者に狂うことなかれ。

俺は天帝の慈悲心を他の人に理解してもらえればそれで良いと思っていた。
米教は難しい、だが天帝の慈悲にすがる救済措置もある。
宣伝はする。だが、そのことを他人がどうとるかは、
俺の預かり知るところではない。
と思っていた。

しかし、この世にあるすべての存在は一応閻魔庁で転生を許されている存在であり、
救済の見込みがないならばそもそも生まれてこないのではないのか?
米の教えもあれど、誰もがその教えを実践できるわけではないし、
その教えが耳にすら入らない存在もいる。
そもそも米の教えは悪の世に善一筋を見出す教えだが、
そもそも悪がなければ良心神は育たないのではないのか?
善を歩むだけでなく、悪を理解する(悪に染まるとかではなく)というのも
人生でなかろうか。
そうでないなら最初から良心神バッキバッキ(表現がおかしい)で
まったく心中に悪の無い存在だけしか生まれてこないのではないのか。
それは単に悪人への慈悲というだけでなく、いわゆる善人を志すものへの
メッセージではないのか。
悪心あればこそ、悪人を理解できるのではないのか。
どの人間にも悪心は備わっているし、悪の世の人生でそれぞれ良心神を
見出す過程を歩まされるのではないのか。

要は悪も許されている存在であるのでは、なかろうか。
天地創造の時も根源的な悪神が発生している。
悪神が蔓延ったせいで掛けまくも畏き国常立尊が主宰神から退かれた、
だが、それを許したのは天の御先祖の大神である。
結果として国祖は悪神として艮に閉じ込められてしまった。
下記のとおりである。

>撞の大御神、即天の御先祖の大神は、天地未分、
>陰陽未剖の太初に当りて、大地球の先祖として国常立之尊を任じ玉ひ、
>大地の修理固成を言依し玉ひしかば、国常立の尊は地上の主権を帯び、
>久良芸如す漂へる国土を修理し玉ふや、大神の施策余りに厳格剛直にして、
>混沌時代の主管者としては、実に不適任たるを免れず、
>部下の万神は大に困難を感じ、衆議の結果、
>撞の大神に国祖の退隠されん事を奏請するの止むを得ざるに至れり。
>撞の大神は茲に万神の奏請を嘉納せられたれども、
>一旦国土の主宰に任じたる上は、神勅の重、且つ大なるを省み玉ひて、
>容易に許させ給はず。一方国祖に向つて少しく軟化すべく、
>種々慰撫説得なし給ひしかども、国祖の至公至平至直至厳の霊性は、
>容易に動かす可くもあらず。茲に撞の大神は、
>国祖の妻神たる豊雲斟之神言に向ひて、国祖を諫奏す可く厳命を降し給ひぬ。
>妻神は即坤の金神也。坤の金神は神勅を奉戴し、
>夫神に百万諫奏し給ひしが元来剛直一方の国祖は、和光同塵的神政を好み給はざりけり。

混沌時代(悪の存在する世)では偉大にして善一筋の国祖でも、
むしろ善一筋すぎたので不都合が生じたので、天のご先祖の大神が
その態度を軟化するように差し向けられた。
例えるなら汚職政治家を厳格な基準で裁こうものなら、
器の大きい政治家が逮捕でいなくなって国政がめちゃくちゃになるでしょう(笑)
そのため現代でも不逮捕特権なるものがあると。
和光同塵は、善悪まぜこぜという意味です。

>茲に撞の大神は、一方万神の奏請頻りにして、
>制御す可き方策に尽き玉ひしかば、断然意を決して、
>国祖を艮へ退去す可く厳命し給ひ、且つ詔り給はく、
>爾今我言を奉じて勇ぎ能く退辞せば、我又た時を待つて爾を元の主宰に任じ、
>且つ我は地に降りて汝が大業を補助す可しと、神勅厳かに降下在らせられたれば、
>国祖も無念を忍び、数万歳の久しき歳月を隠忍し、
>世の成行を坐視し給ひたり。八百万の神の決議に因り、
>神政妨害者として永久に艮に押籠めらるゝ身とは成り給ひぬ。
>茲に艮の金神の名称初まりぬ。

天のご先祖の大神が国祖を艮へ退去を命じる部分である。
潔く退去してくれれば、時節が来た時に元の主宰神にもどす、
その時は、私地に下って補助をする、と。
ここから国祖は臥薪嘗胆の憂き目、炒り豆に花が咲くまで戻ってくるな
にあう。節分の期限である。

天のご先祖の大神は、時代にあわせたやり方を好まれます。
我々にも時代に合わせた学びがあるかと、思います。
悪のあるこの時代に生まれてくるのか。

さて王陽明の伝習録のなかで
「人生の大病はただこれ一つ傲の字なり」
言葉があります。

傲の字は人+ゴウ「死者を鞭打つ」
大陸では勝者が敗者を鞭打つために亡骸を暴いたりするという文化
があったようです。つまり、俺に逆らうとこうなるぞ!です。
そのため傲慢の傲は「傲り高ぶる」という意味を持ちます。
神を亡き者のして傲り高ぶるという、意味もあるかもしれません。
某宗教では信仰無きものを死者と比喩することがあるようです。
そして傲の字こそ、いままでの自分の態度でもあったようです。

キリスト教においては7つの大罪の筆頭であります。
当然私にも悔い改めが必要です。