こんばんは。ご無沙汰しています、karoです。

今日はAmebaニュースのこんな記事がちょっと気になってしまったので、今書いている記事より先行してこちらを取り上げることにしました。


毛皮の装いは残酷ですか?
ヒョウ柄のモコモコブーツをはいたり尻尾を垂らしたりしたアニマル系ファッションが話題になる昨今。街にい..........≪続きを読む≫


上記の記事ですが、「教えてgoo!」に寄せられた質問、「昨今流行のファーファッションは無駄に生物を殺しているのでは」という内容についての様々な回答を紹介したもので、実際にAmebaでも「なう」などで多くの方がご意見されています。


まず最初に。

この件について、私は賛成も反対もしかねます。意見がまとまらずなんとも言えないのです。ただこの煽り文句の「残酷」という表現がちょっと気になり、記事を書きました。どちらかといえば、「毛皮容認派」に見えることと思います。

そして申し訳ないのですが、「可哀相という理由だけで反対をする方」とは相容れません。

でも、そうした意見があることを否定するつもりはありません、一応。ただ、熱くなって出すぎた発言もするやもしれません。ご容赦いただけると助かります。

また、途中、少々グロテスクな表現も出るかと思います。

何と言いますか、こうした問題について「よく考えていきたいし、よく考えていただきたい」のです。

そうした意味では、賛成派の方も反対派の方も同じご意見を持っていらっしゃると思うんです。

拙い言葉でこうした難しい問題に言及するのもどうかと思ったのですが、つい。


さてさて。かく言う私も動物由来の製品、すなわち毛皮製品・革製品、結構持っております。

近頃よく使っているのはラビットファーのマフラーと、牛皮の財布。どちらも重宝しています。

そういえば、ドイツ人の友人がラビットファーのマフラーを「きもーい」と言っていましたねwでも肌触りが良いし、暖かいのでこれからも使います。絶対にww

小学生のころはコードバンランドセルを使っていましたので欧風に言えば「毎日馬の死骸を背負っていた」ことになりますかね。

そうそう、天下のTDLでも革製品、販売していましたね。私もブレスレット、持っています。


先にも書いた通り上記の記事では「無駄に動物を殺すこと」について取り上げられていたんですよね。これを「残酷ですか?」と表現するのは、なんか違うかなー、というのが私の感想です。

確かに動物愛護団体などでは「残酷」と言われていますけどね。質問者さんの本意はそこではないように思いました。

そういえば、ご意見にもありましたが、「毛皮」は残酷としても、「革」は残酷ではないのでしょうか?

そうだとしたら「魚の形が残っているものは食べられない」けど「形が無くなっている(=切り身など)はOK」という姿勢と同じものを感じてしまいますね…。

結局は、加工の度合いが浅い毛皮のほうがより元の姿がイメージしやすく、残酷さが強調されるから否定する、という様にも捉えられます。

フェイクファーを使う、等の対応策も書かれていましたが、本当にそれなら残酷ではないのでしょうか。

製造過程で大きくエネルギーを消費し、その分他の生物たちの住処を奪うのであれば結局命を奪うことに変わりはありません。人間の手で殺されなければ残酷ではないのでしょうか。餓死、病死、その原因が人間にあっても残酷ではないのでしょうか。結局は私たち人間の目から見た「見た目」の問題ではないでしょうか。

動物同士の狩では人間が残酷だと思うような方法で獲物をとらえるものもいます。しかし彼らにとってはそれが「当たり前」なのです。


質問者の方は「家畜も含め動物のほうがより残酷に感じる」というような趣旨の発言もされています。

しかし、私はやはり植物でも残酷なものは残酷だと思います。一説には植物にも意志があると言われますし。

確かに可哀相かもしれません。同じ哺乳類を生きたまま毛皮を剥ぐ、無理矢理搾乳する、食べるために繁殖させる…

でも、そう考えたら質問者の方がおっしゃるように「きりがない」のです。

命は平等ですし、そうあるべきでしょう。でもやはり、生物みんな、自分の命は誰よりも大事なのです。


よく「動物園の動物は可哀相だ」というご意見を耳にします。

確かに野生の生物を檻に追い込んだだけのかつての動物園ではそうした状況もあったでしょう。

しかし、今の動物園で暮らす動物のほとんどは動物園生まれ、動物園育ちです。強引に言ってしまえばペットと大差ありません。彼らを野に放して果たして生きていくことができるのか、そもそも放つだけの野はあるのかという問題もあります。

そのペットたちも幸せだと言い切れるでしょうか?血統書つきの犬など繁殖相手は人間が選んだものです。本当に幸せだと言いきれますか?欧米などの安楽死も日本の価値観とは異なる見方によるものですよね。どちらがより残酷なのでしょうか。

必要なら仕方ない、ならその線引きはどうしたらよいのでしょうか。

「実験動物は不要」というご意見もよく耳にします。これもこうした分野に携わっていると避けようの無い話題です。しかし最初から人間に投薬実験するわけにもいきません。殺すことのない行動実験だって動物には苦痛かもしれません。けれどその結果できた製品、その結果から生まれた恩恵を私たちは享受しています。

食肉用の家畜も最初に首を切るとはいえ、血抜きのためにそのまま放置されます。経済的効率を優先した結果、ニワトリなどでは斬首が不十分で血抜きの間も生きているものもいるといいます。

哺乳類ではありませんが、魚の踊り食いなんて残酷の極みかもしれませんね。


哺乳類だけを特別視するような風潮は、私にとって「人からの見た目」のみを重視したものであり、違和感を感じるもののようです。

確かに、やりすぎであるものや、不要なものもあるかもしれません。しかしそれがすぐに「全廃」に繋がること、そしてその対象にはやはり違和感を覚えることがあります。


長々と色々と思いつくままに書いてしまいましたが、結局はこうした「可哀相」という人間の感情本位の問いそのものが無意味なものなのかもしれません。

けれど、こうした「可哀相」という感情から、相手の立場を思いやった結果生まれる感情は大切だと思います。これを否定してしまうと別の面で恐ろしい気がしますね…。

ただ、私たちは今の生活でそうした血なまぐさい残酷さから目をそむけて生きているような気はしてなりません。

少なくとも私は、生き物は本来、生来的に残酷なのではないかと、思っています。

皆さんはどう思われますか?


ひな祭りなのになんだか難しい話題でしたね(笑)

ちなみに私は何もしてません。4月3日がひな祭りの地域もあるのでこんどこそは何かしようかな…(笑)

こちらも何かされたことがあれば教えてください(・ω・)ノ

ではでは、今日は本当に長ったらしく、そしておそろしくつまらんひとり言記事にお付き合いいただきありがとうございました。それでは!!