去る11月15日、おばあちゃんが死んだ。

満87歳、数えで米寿だった。



早朝、けたたましく鳴るケータイの着信音で目が覚めた。父からだった。
待ち受け画面を見た瞬間、『何かあったな‥』と思った。



父の第一声は『ばあちゃん死んだ』だった。



私は『やっぱり‥』と思った。と同時に『ひとりぼっちで逝ってしまった‥』とも思った。




病院の場所を確認し、すぐに彼氏に連絡した。寝台、斎場、お寺の手配を彼氏に任せて病院へ向かった。

こんな時、身近に葬儀屋さんがいると焦らなくてイイね汗幸か不幸か、葬儀関係者はいつも死を身近に感じながら過ごしているからねDASH!



病院でおばあちゃんと対面した。
ごく一般的な診察室でストレッチャーに寝かされ、顔に布がかけられていた。
いつもと同じポーズで身体を曲げて寝ていた。

おでこに手を当てると、まだほんと温もりが感じられて‥死んだなんて嘘みたいだった。

医師から運ばれて来た時の状況説明を受け、事務員さんから死亡診断書を受け取った。そしてこの病院には安置室がナイ為、早く連れて帰ってくれと言われた。

寝台車の手配も済んでいるので到着までもう少し待ってくれと伝えたが、すごく急かされた。めっちゃ気分悪かった。



寝台車が到着し、彼氏は市役所へ。
家族はお通夜の準備の為に一旦自宅へ。
私はおばあちゃんと寝台車で式場へ向かった。


飾りを手伝い、納棺をして、細かい道具類の準備をした。


柩に入ったおばあちゃんを見て、、、



『やっぱり死んじゃったんだ‥』


と思った。




線香のお守りをしながら、小さな式場におばあちゃんと二人っきり。




色んなことを思い出していた。



もっとこうしておけばよかった‥とか、
ああしとけばよかった‥とか、
そんな事ばかりが頭に浮かんだ。




私にとっておばあちゃんは、突然現れたおばあちゃんだった。

16歳の時。自分のルーツを両親から聞かされた。


今まで叔母さんとして接してきた人が、実は祖母であるということ。祖父はアメリカ人で、今はどうしているのかわからないこと。今まで写真でしかしらなかった祖父母は曽祖父母だったこと。
父は曽祖父の養子になっていること‥

知らなかった事をたくさん聞いたっけ‥



母方の祖母も他界した後だったので、突然現れたおばあちゃんの存在はすごく大きかったし、嬉しかった。

あぁ、おばあちゃんはまだ生きてて側にいてくれてたんだ‥

そう思った。



それからは、今まで以上に気持ちが近くなったっけ‥



色んな事を思い出しながら、おばあちゃんと2人っきりの時間を過ごした。

今思うと、とても大事な時間だったな‥と思う。自分の心と思い出とじっくり向き合う時間をおばあちゃんが作ってくれたのかな‥と思う。




通夜の夜も次の日の式も、あっという間に過ぎ去った。


お花で埋め尽くされた柩の中には、一緒におばあちゃんが入れて欲しがっていたもの全てを納めた。


ふたを閉めた後に父の手で、亡き母へ初めての花束を捧げた。

父とおばあちゃんとの間には、私には計り知れない様々な想いがあるんだと思う。

母に甘えたい想いを押し殺して生きてきた幼少期‥腹の立つ事も許せない想いもあっただろう。


それでもたった一人の母へ、涙ながら捧げた花束は、とても美しかった。


聞こえない『ありがとう』の言葉が聞こえた気がした。






身近な大切な人を亡くした事のなかった、幸せな私に、おばあちゃんは大切な事を教えてくれた。

それはこれからも私の仕事を通して生き続けていくであろう、大切な事。

この気持ちは絶対に忘れたくない。

この気持ちを持ち続けて、これから携わる仕事に向き合っていこうと思う。



忘れないように、いつでも向き合える様に、ここに記します。







『おばあちゃん、ありがとう』