舛添さんは辞任するようだね。
これまでも、数限りなく有った、パターンだね。
辞任するのが、これまでの通常のパターンだから、こうなったのは想定内の事である。
が、この数限りなく行われる、いつもの経過を見るたびに、私はキリストを思うのである。
《イエスは身を起して言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」》
今回だけの事ではなく、何か問題のある人を責めているテレビの中の人たちを見ると、この
罪を犯した女を取り囲んで騒いでいる、男たちと重なるのである。
ほんとにそのように騒ぐ価値のある内容なのだろうかといつも思うのである。
《彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた》
人間はそれ程、完ぺきではない。
寄ってたかって「問題だ、問題だ」と一緒になって騒ぐほうが楽である。
これからも、今回のような経過をたどる話は、何回も繰り返されるであろう。
それでいいのだろうか?
「次の人は、探し出してこなければ」などという言葉を聞くと、何かむなしい。
問題を起こして、反省の言葉を述べ、それなりの対処もして、もう少し働きたい
という人間にやらせた方が、ちょっとはましになり、世の中も良くなるように思う。
心配しないでも、又誰かを寄ってたかって、責める状況が現れるだろう。
その時、現代のキリストは、何と言えばいいのだろうか?
引用した文は
「聖書の名句・名言」 千代崎秀雄著 より