

先月末に、六本木の国立新美術館で現在展示中の
『アンドレアス・グルスキー展』を見に行ってきた。
アンドレアス・グルスキーには昨年の11月から興味を持っていた。
というのもその月に、彼の写真が史上最高額の〝3億3300万円〟で落札された
というニュースを見たからだった。
その写真↓

正直ニュースを見て、彼の作品の画像をネットで見る限りでは、
彼の作品の評価の高さがまったく理解できなかった。
というのも、写真は複製ができるからだ。
何か描いたり、何か物を作るのとは違い、写真は最初から複製されるものだ。
つまり完全な一点物にはなり得ない。
だから、いくら素晴らしい瞬間を切り取ったからといっても、
3億3300万円の価値がどのようにしてつくのか…
その道理がまるで理解できなくて、暫く混乱した。
本物を見てみたいと無性に思った。
そして念願叶ってようやく本物を見ることができたというわけ。
で、驚愕した。





一貫された〝ミニマム(最小限)〟の視点・構図。
◆タテ・ヨコ・ナナメしかない最小限の構図
と〝マキシマム(最大限)〟なサイズ。
◆ほとんどが畳2~3枚分の巨大な写真
その広大で整理された構図の隙間には
◆限界まで敷き詰められたバリエーションの混在
これが現実を切り取った写真だっていうのだから、
あまりにも説得力があったり、皮肉だったり、現代を象徴し過ぎている。
そりゃ3億にもなっちゃうわな、と思った。
うまく言えないけど、
スタジオジブリの作品の絵や描写の真逆の表現…というか
木々や日常が描く曲線とか抑揚なんてのはいっそ邪魔になって、
コモディタイズした風景をただ生々しく、痛々しく、
それでいて美しく突きつけ続ける。
北朝鮮の踊りと、スーパーの整理された商品と、
均等の幅で色とりどりの窓を持つマンション、
それらがある意味「同じ目的を写した作品」として並べられていると思うと、
自分の生活の裏にある真実を喉元に突きつけられた感じがして、
なんだか怖いというか、皮肉だ。
すごいアート作品を前にすると、そのメッセージ性の
すごいアート作品を前にすると、そのメッセージ性の
強さ×凄さに圧倒されて、黙らせられる。
暫し「感動の沈黙」を体験させられた素晴らしい展示でした。
9/16までやっているのようなので、まだ見ていない人は
ぜひ見に行っとくべきかと思われる。→ アンドレアス・グルスキー展
そして、この展示を見たあとに
〝世界がミニマル(タテ・ヨコ・ナナメ)にしか見えない病〟
にかかったのはたぶん、


僕と友人だけではないだろう(笑)

とにもかくにもとても刺激的な写真展でした。
ちなみにグルスキーの写真は、
厳密には〝写真を使ったアート作品〟であり、
写真ではなかった。
所謂「写真」に見られる写真そのものの美しさや、
瞬間を切り取る美学などは彼の作品では展開されない。
それどころか、合成処理を当たり前に施し、
写した写真のなかに嘘を混ぜ込み、
写真として「正しい」とされることのあえて真逆のことをして、
写真の概念を否定してみせたりと、
とても実験的で研究的な「写真の使い方」を模索している人だと感じた。
普通になんだか美しい写真が3億とかだったわけじゃないことが
わかって、安心した。(笑)
〆。