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風立ちぬをようやく見れました。
嫁さん「つまんなかった」と
バッサリ。

僕は前評判で
・子供が退屈で映画館を走り回っている
・宮崎駿監督の趣味を全面に押し出した作品で「こんな映画絶対作ったらダメだ」とつぶやきながら鈴木プロデューサーと楽しく作った
・宮崎駿監督が自分の映画で初めて泣いた
・大人対象の映画

と聞いていたので、
「もうまさにそれ!」って感じで
覚悟できていたので、
つまらない要素は回避して
見れた感があった。

映画としては
宮崎駿監督の哲学や信念ではなく、
遂に本音と理想が出てしまった。
時代に向けてというより、
「僕はこういうのが好きなんだ」
という正直な気持ちギッシリの
作品だったと思う。

『女は家でつつまじく』
『男は純情で仕事一本』

風立ちぬの描写にあるような
恋や人間関係の形は、
今後もう僕らの世代以降、
二度と見ることはないと思う。

狂気的な純情・愛情=情熱。
或いはそれによる束縛と不幸。

みんなもう『喜劇』しか
受け付けないこのご時世に
宮崎駿がぶつけた渾身の
『悲劇』映画と
僕は受け取りました。


造りは、
間が広く、情報も少ない。
このスケールで
時代性や商業性を
ここまで度外視して
映画を作れるのは、
現代にもはや宮崎駿と
ジブリしかないのかもしれない。

とりあえず、
正直見苦しかった点をあげれば、
左翼臭がすごかったし、
「性格最悪」とよく言われる
宮崎駿監督の性分丸わかりで、
やっぱり
しょーもない理想主義者だと
思ったけれど、

それを必死に隠して作ってきた
これまでの作品とは違って、
開き直ってそれを
自分で認めたような、
そんなカタルシスの宿った
映画だった。

Twitterで
結婚しちまうような
我々みたいなアホ夫婦は
もはや彼には人間として
認められないだろうと
思われる。(笑)

だがしかし、
ああいった理想の愛の在り方も、
うちら夫婦のような
アホな愛の在り方も、
異常であり、
或いはボヘミアンであり、
面白半分の美学でもあり、
そして哲学であり、
劇であり、
また情熱である。


宮崎駿監督が描きたい
憧れる「古き良き日本」とは、
まだ生活が芸術で、
劇だった頃の日本。

アインシュタインやエジソン、
チャップリン、
ロートレックが
みんな「日本は素晴らしい国だ」と
言っていた頃の、
芸術的生活と習慣を生きる日本。

その文化は確かに崩壊し、
もう戻らないけれど、
何処かで僕らはそういった
芸術的日常に
憧れと救いを求め、
手を替え品を替え、
いずれはまるで違うものに
成り果てようとも、
その本質を何処かで受け継いで、
完全になくなることはきっとない。

そうして世界は廻って行くと思う。

そして、
そうした理想を
僕も譲らずに、
この人生を生き抜こうと思います。

live through this world.

あるミュージシャンは
言っていました。

〝この世界を生き抜く〟と。

Me tooでございます。
それが問われる時代なんでしょう。

そんなわけで映画
「風立ちぬ」の感想でした。

適当に書きなぐったので支離滅裂と思います。
短く簡素簡潔な結論は
次号のメルマガ『翼便り』の
僕のコラム【映画評】にて
綴りたいと思いますので
どうぞよろしく。→『翼便り』