「神が舞い降りた」と言うしかない、WBCの「運命の対決」の結末。
侍ジャパンの千両役者「イチロー」を越えるのは、やはり「イチロー」しかいなかった。
日本VS韓国。「運命の対決」は何も野球に限ったことではない。
日本ではあまり馴染みがないかも知れませんが、ワインの世界にも「運命の対決」がかつてあった。
パリ対決30周年記念テイスティングで「モンテベロ1971」が堂々の1位に輝きました。
立したワイン商のスティーヴン・スパリュアが行った伝説的なブラインドテイスティングのこと最高クラスのボルドー赤/ブルゴーニュ白と、カリフォルニアのカベルネ/シャルドネを、フランスワイン業界の重鎮たちが比較試飲・審査したというものです。当時のカリフォルニアワインはまったく無名の存在。誰もがフランスの勝利を信じて疑わなかった中、赤ではエステートワイナリーであるスタグス・リープ・ワイン・セラーズ(STAG‘S LEAP WINE CELLARSの「カベルネ1973」が、白ではシャトー・モンテレーナ(CHATEAU MONTELENA)の「シャルドネ
1973」がそれぞれトップに立ちました。これは例えるならば、地方の高校野球部が、メジャーリーグチ
ームに勝ってしまったようなものです。ニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、自信をつけたカリフォ
ルニアの生産者たちは、この日を境に高品質追求に向けて大きく踏み出していきました。リッジの「モ
ンテベロ1971」は、1976年のパリ対決では10ワイン中の5位に終わっています。2位のムートン、3位
のオー・ブリオン、4位のモンローズに続いての順位です。因みにスパリュアは1976年当時、自ら選ん
だカリフォルニアワインの中では「モンテベロ1971」を一番高く評価していました。モンテベロの試飲後に、
勝敗の行方が気になり始めたスパリュアは、ボルドーワインのラインナップに手を加えたという逸話が
残っています。万が一にもカリフォルニアワイン、あるいはリッジが勝つことがないようにと、一級のムー
トンやオー・ブリオンを投入したのです。
1976年のパリ対決の直後、フランスワインびいきの人々が口にしたのは、「試飲したワインが若すぎる。
最高のボルドー赤が本当の姿を現すのはもっと後だ」という台詞でした。「カリフォルニアワインが旨いの
は若いうちだけで、フランスワインのように熟成しない」とも言われていました。そこで10年後の1986年には、
今度はニューヨークの地で、熟成した同じ赤ワインを比べるテイスティングが開かれました。ですが、この
時の1位もやはりカリフォルニアワイン、「クロ・デュ・ヴァル1972」でした。「モンテベロ1971」はこのとき2位
に入ています。
そして3度目。2006年のテイスティングでもまた、スティーヴン・スパリュアが取りまとめ役を引き受けまし
た。ロンドンとナパで同時に開催し、英米各9名の審査員がブラインドで採点を行うという形式。審査員の顔
ぶれは、ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン、マイケル・ブロードベント、ミシェル・ベタンヌ、フランク・
プライアルなどなど、英米仏の高名なワインジャーナリストが中心となりました。1976年当時の審査員から
は、ラ・トゥール・ダルジャンの元ソムリエであるクリスチャン・ヴァンヌケと、著述家のミシェル・ドヴァスが参
加しています。
30年前と同じ古酒だけでなく、近年のヴィンテージについても試飲がなされることになりました。カリフォル
ニアとボルドー/ブルゴーニュの若い赤白(カベルネとシャルドネ)が対象でしたが、こちらは対決形式では
なく、カリフォルニア、フランスをそれぞれ別々にテイスティングするというもの。若いヴィンテージのテイステ
ィングでは、正規審査員米英合計18名に加え、62名の名誉審査員も同じワインを採点しています。
その時のテイスティングは、カリフォルニアとボルドーの優劣を真面目に決定づけようとしたものではなく、
記念や回顧の色彩が強いイベントだったと言われています。ですが、ボルドーの生産者たちはイベントにあ
れこれと反対しました。勝っても得るものは何もなく、負けると大きな損害をこうむると考え、どの生産者も手
持ちのワインを蔵出しすることを拒みました。ロンドンの開催地は、当初ムートンのロートシルト家が保有する
施設が予定されていたが、当主のフィリピーヌ・ド・ロートシルトがこれを拒否したため、ベリー・ブラザーズ&
ラッドというワイン商の施設へと変更されました。
そうして「運命の解決」の審判の日がやってきました。スティーヴン・スパリュアは、今回こそボルドーの赤が
勝利するだろうと予測していました。 30 年前に大勝利を飾ったスタッグス・リープの 1973 年ヴィンテージは、
とうの昔に熟成のピークを過ぎたと言われていたからです。リッジのポール・ドレーパーも、モンテベロの 1970
年なら、フランスに勝つチャンスがあるかもしれない。しかしj( 1976 年当時と同じ) 1971 年ヴィンテージでは、
苦しい戦いになるだろう」と、珍しく弱気のコメントをしていました。しかし、蓋を開けてみると、誰も予想しなかっ
た結果が待っていました。
2位以下に大差をつけての、「モンテベロ 1971」 の勝利(スパリュアもモンテベロに最高得点をつけた)。のみ
ならず、1位から5位までをすべて、カリフォルニアワインが独占したという信じがたい快挙。2がスタグス・リー
プ・ワイン・セラーズ 1973 、3位が同点でハイツ・マーサズ・ヴィンヤード 1971 とマヤカマス 1971 、5位がクロ・
デュ・ヴァル 1972 。 相手が弱かったわけではありません。一級のオー・ブリオン、ムートン、二級のモンローズ
は、 1970 年代では最高のヴィンテージである 1970 年です。審査員たちが、カリフォルニア寄りだったわけでも
ありません。イギリス人ジャーナリストたちは、おおむねカリフォルニアよりもボルドーにシンパシーを感じてい
ただろうし、フランス人のミシェル・ベタンヌやミシェル・ドヴァスもロンドン側の審査員に入っていました。ナパ側
のパネルはアメリカ人が多かったが、イギリス人のスティーヴン・ブルック、フランス人のクリスチャン・ヴァンヌ
ケはナパ側の審査員を務めていました。
「カリフォルニアワインは、フランスワインのようには熟成しない」 ―― これは今日、半ば常識となった感もある
主張です。ですがそれは本当ではなかったのです。約 35 年という熟成期間は、最終的な判断を下すうえで十分
な時間です。リッジを含む最高のカリフォルニアワインは、長期の熟成を経てもなお美しく、それは最高のフラン
スワインをもしのぎうる ―― この事実が明らかになった意義は大きい。
ポール・ドレーパーは、下った新たな「審判」の後、サンフランシスコ・クロニクル紙のインタヴューに次のように
答えています。「 1971 年のモンテベロは …… 大変バランスが取れていてエレガントなワインではあるが、もっと大
柄なワインとの比較になるとどうかと考えていた。だから、冷涼な気候の畑から生まれた、エレガントでアルコール
が低いスタイルのこのワインが認められて、非常に嬉しく思う」。
最後にもうひとつ。リッジのモンテベロ 2000 は、若いヴィンテージのカリフォルニア・カベルネの中でもトップに輝
いています(正規審査員 18 名の合計点数。名誉審査員の採点を加えると2位)。三度目の正直での、完全な勝利
でした。
(以上、米国TIME誌を基に再構成いたしました)
現在、リッジのオーナーは日本人が勤めています。大塚製薬の岡林中今・取締役会長です。
シアトルに住んでいるイチローも休日やホームパーティーで口にして「おいしい」思いをいているかも知れません。