前回は、私が産後うつになったきっかけをまとめました。

今から思えば他愛無い事だと自分でも思いますが、そのときはそう思えませんでした。

今回はそれぞれ何をきっかけにその不安を払拭したのか、

また、どれだけ他愛ないことだったかについてお話ししていきます。



(1)「お産に時間がかかって体力を消耗し、産後の肥立ちが悪かった」の解決

少し時間が立って考えてみると、

私のお産がうまく進まなかったことについてひとつのことに気づく。

私が産気づいた日は6名のお産が迫っており、

分娩室は常に使われ、助産師は「1時間ごとに回診にくるからね~」

といいながら2時間以上来ず。

この状態で「分娩室は空いただろうか?私が産んでいいのだろうか?」

と遠慮する気持ちが働いて、分娩がうまく進まなかったのではないかと。

つまり、私の妊婦時代の努力が足りなかったわけではないのでは?と思えたこと。


それから、多くのママ友と知り合い、話していく中で、

・産後に大量出血して意識を失った方

・陣痛が5日もあった方

・ベビが仮死状態で生まれた方

・カンシ分娩・吸引分娩の方

などなど、分娩の苦労話は数知れず。

私一人が苦労したわけではないということに徐々に気づけたこと。


このような気づきによって、お産について自分を責めなくなり、気持ちは楽になった。



(2)「授乳がうまくいかなかった」の解決

一番のきっかけは、区のサービスで受けられる

おっぱいマッサージに来た助産師さんに

「1ヶ月もおっぱいが出なかったんですよ」といったところ、

「あら、お産が大変だったのね。

でも、よく頑張りました。ちゃんと出ていますよ。」

といってもらえたことだ。


私がおっぱいが出なかったのは、

産前産後におっぱいマッサージをちゃんとしなかったからでもなく、

おっぱいによくない私の好きなものを食べたからでもなく、

お産で体力を消耗してしまったからなのだ。


また、産後に出会ったママ友には、

・子供に拒否された

・アレルギーが出た

・数ヵ月後に枯れてしまった

などによってやめてしまった人もおり、

やっぱり授乳も人それぞれなのだとわかったのだ。

それに比べて、3歳の誕生日まで授乳を続けた私は、

むしろ授乳に成功した方のママなのだ。


(3)「オムツの交換が苦手(だと思い込んでいた)」の解決

子供が育つに連れて、オムツはサイズチェンジする。

そのサイズチェンジのたびに

隙間ができたりして漏れる確率が上がる瞬間があった。

そのことから、新生児の細い足では隙間ができ易く、

努力しても多少は漏れるということが分かったのだ。


(4)「育児書を熟読しておいたのに、

赤ちゃんを泣き止ませることができなかった」の解決

これは試行錯誤でわかったのだが、

私の子はただ単に甘えて抱っこしてほしくて泣いたりしていたのだ。

ミルクとおむつだけではなかったのだ。


(5)「遺伝的な問題が気になった」の解決

冷静の考えれば、副耳は見かけは奇形であるが、

聴力に問題があるわけでもないし、手術も簡単である。

そんなに気にする必要はないものだった。


この子が7ヶ月くらいで転居することになったのだが、

転居先では、何人も副耳を持っている子供にあった。

しかも、親は全然気にしていなかった。


やっぱり多少は気になる私は、

結局早めに手術して摘出してしまったのだが、

周りに気にしていない人が多いことと、

実子からはすでに無くなってしまったことから、

このことは気にしなくなった。




ここまでお読みいただいた方は、

本当に他愛ないことに私が躓いていたことに

お気づきになったと思います。


そして、これを乗り越えるきっかけは、

ママ友や専門家と話して経験を共有すること

でした。

そして、その機会を得るきっかけとして、

私の場合、当時住んでいた区の助成制度や

児童館の制度がありました。

助成券を使って助産師さんと話したり、

助成券利用可能なイベントに参加するために児童館にいき、

児童館で幼児クラブがあることを知ってママ友ができたのです。


また、今第2子を妊娠していますが、

現在お世話になっている産院では、

マタニティヨガ、マタニティ・エクササイズ教室が開かれています。

ここでは、担当の助産師さんが、

予定日の近い妊婦さんに気持ちを発表させたり、

お産がすんだ方の出産の様子を共有してくださり、

「お産は人それぞれですが、

それぞれのいいお産を迎えられるといいですね」

といってくれます。

これは第1子のときに知っていればよかったな~と思うほど

とても素敵な気遣いです。



こう考えると、産後うつを予防したり、乗り越えたりするきっかけは

同じ経験をした人と語り合うことなのかもしれません。

その機会を得るために外に出るというのが重要だと思います。



行政の助成制度や児童館のプログラムも

有効な手段の一つでしょう。


それから、産前に産後のことを知る機会が少ないのも

うつを引き起こす原因になっていると思います。

産後に会ったママ友は異口同音、

「最初の3ヶ月、つらかった」といいます。

初産婦は、陣痛や出産のことで頭がいっぱいですが、

産む瞬間というのはいつか終わりがくるし、

長くても数日のことです。

それより、全く母親の自由がきかない3ヶ月の方がつらいこと。

そして、赤ちゃんはミルクとおむつ以外にも泣くこと。

少なくともちゃんと育児書に書いてほしいです。

母親学級でももう少しそういう部分が必要かもしれません。


現状では産前に産後のつらさを知る機会は少ないので、

ここについてはもっと改善の余地があると思います。



今回の出産については、情報収集するなかで

気になるプログラムを見つけたので利用してみたいと思います。

参加した暁には、経験を共有させていただきますね。


最近にわかに私の周りで話題になっている「産後うつ」。

実は第1子出産時に私もなりました。なりかけだったかもしれませんが。


明るくて悩みなんてない方、ベビーの会えるのを楽しみにしていた方、

出産後は楽しいことばかりでうつに縁がないと思われるかもしれませんが、

本当はどんな方でも隣りあわせなのでは?


産後うつ」はホルモンの状態など医学的には普通のうつと異なるらしいです。

そういう医学的なことはよくわかりませんが、私の経験を共有することで、

産後うつの予防や解決のきっかけになればいいと思います。


ではまず、今から考えて私のうつのトリガーとなってしまったことについてです。

以下のことが挙げられます。


(1)お産に時間がかかって体力を消耗し、産後の肥立ちが悪かった

(2)授乳がうまくいかなかった

(3)オムツの交換が苦手(だと思い込んでいた)

(4)育児書を熟読しておいたのに、赤ちゃんを泣き止ませることができなかった

(5)遺伝的な問題が気になった


この5点について少し補足します。

(1)お産に時間がかかって体力を消耗し、産後の肥立ちが悪かった

お産についてまじめに考えて知識を得てしまうと、安産のために色々努力してしまうもの。

私は、マタニティ・エクササイズに通い、毎晩妊婦体操して、日中も散歩。

しかも、臨月の食欲を抑えてちょうど7kgオーバーで出産。(7kg増だと優等生)


しかし、いざ陣痛がやってくると、なかなかお産に向けて状態が進まない。

結局、体力を消耗して危なくなって、陣痛促進剤を使って出産。

一般的には安産の域だが、薬を使ってしまったと落ち込む。

しかも、もともとBMIが低いのに7kg増では体力の回復がかなり遅れ、元気がでない。


(2)授乳がうまくいかなかった

出産翌日から授乳が始まる。

授乳室の他のママたちはちょっとずつ出ているようだが、私は全く出ない。

私が産んだ時期は、2日前に6名・私の日も6名の出産があり、

入院患者が大量にいたため、助産師による母乳指導も行き届かない。

結局入院中ほとんど出ないまま退院を迎える。

退院してから色々ネットで調べたり、先輩ママに相談してみると、

そもそも授乳がうまくいかなかった先輩がいない。

口をそろえて薦められたかの有名な○○式を参考にしてみると、

好きなものがあれこれ食べちゃだめと書いてある。

好きなものを食べているからなのか?

食べるの我慢しなければ授乳できないのか???


直接だれかに相談したかったが、

実家に帰っていて産院の母乳外来になかなかいけず、

また、この母乳外来は予約殺到で気軽にいけないので、

さらに相談相手を得られず。

実母はミルクで育てたので、母乳のことは分からず。


(3)オムツの交換が苦手(だと思い込んでいた)

退院して10日くらいまで、よく排泄物が漏れて服を汚してしまった。

私は手先が不器用だというコンプレックスがあるので、

私の子になったがために、余計に汚れたり、着替えさせられたり、

とてもかわいそうな子だと思った。


(4)育児書を熟読しておいたのに、赤ちゃんを泣き止ませることができなかった

私が目にした育児書にはたいていこのようなことが書いてあった。

「新生児が泣くときはおむつかミルクのときです。どちらかを対応すれば泣き止みます」


しかし、私の子供はおむつを替え、ミルクをあげてもぐずぐずすることがあった。

なぜ?やり方がまずかったか?私がわからないのがおかしいのか?


(5)遺伝的な問題が気になった

子供には副耳があった。
副耳とは、犬の耳の中にぴょんと立っている軟骨のようなものが耳付近にできる、奇形の一種である。

私の出産した病院は古風なのか、担当医が出産時にとても残念そうに「副耳があります」といい、新生児室の看護師が授乳タイムのたびに「話しきいたかもしれないけど・・・」と副耳について私に説明してきた。

副耳は、私の母方の家系からの遺伝であることはすぐわかった。

あまりにもいわれるし、周りを見渡しても他に副耳のある子は全然いないし、すごく申し訳ない気分になった。



こんなことが重なり、私の気持ちはどんどん落ちていきました。

では次回はどのようにして乗り越えたかについてまとめます。

カラーセラピーの話しをしたので、それに触発されて(?)また色の話しです。


私の一人目の子供は男の子がいますが、この子の新生児服を用意するときから、なぜか青系の服を用意する気になれませんでした。

オレンジの方がしっくりくるんです。



このことは、単純に私の色の好みなのかと思っていました。



ところが、現在妊娠中の第2子(男児の可能性濃厚)の新生児服を用意していると、今度は青系の服ばかりほしくなります。

長男に着せた青い服が「ちょっと似合わないな~」と思う瞬間も、お腹の子なら似合うからお古に回せば大丈夫という考えが浮かんできます。



こんなことを思っていたときにカラーセラピーを受けてみて気がついたことがあります。



長男は、私の太陽生きるエネルギーをくれる存在なのではないかと。

出産する前、私は落ち込むようなことがあると(ちょっと情けないですが)生きる気力を失うことがありました。自殺までは考えませんでしたが、


今、交通事故にあっても後悔しないのに

今、病気になっても構わないのに


という思いが過ぎることがありましたが、長男出産後、そういう気持ちになることはなくなりました。

それだけでなく、悲しいとき、怒っているときでも、私が笑顔になるように仕向けてくれます。

おかげで、精神的に元気に過ごせています。



こう思うと、お腹の第2子は、私の心の平穏をもたらしてくれるのではないかと思います。

この子を授かったタイミングも、社会人としての私自身にいろいろあって、心の中が波立っている状態だったのですが、妊娠したために足を止めてゆっくり考えたおかげで、自分の心の平穏を取り戻すきっかけを得ました。



運命とか縁とか、さらにこんな直感なんて信憑性はよくわかりませんが、今のところ、この考え方は私にしっくりきています。

これからも、私にとってかけがえのない子供たちを大切に、自分の人生を頑張っていこうと思います。