4月に入って母が亡くなりました。
このご時世ですし、母の親戚も高齢なので内輪だけで葬儀を執り行ないました。
私は一人っ子なので、母よりは1日でも長生きしなくてはと思っていて、それが生きる指標でもありました。
私が一人で自宅介護をした10年間、その後なんとか施設に入れました。もう自宅介護は、母より私の方が先に力尽きそうなほど大変でした。
無事に見送る事が出来て安堵しています。
葬儀しか終わっていないので、まだやることはたくさんあるようですが、日程が決まっていること以外はボチボチやろうと思っています。
母は高齢だったので、今年に入って徐々に寝ている時間が増えて、食事が取れなくなりました。
3月の下旬に看取り状態になったので、施設はコ口ナで面会ができない期間が長く続いていましたが、私は母に会うことができ、そのあと息子も少しの時間ですが母に会うことができました。
連絡が来た当日、私が駆け付けた時には亡くなっていましたが穏やかな最期だったようです。
葬儀の前日、母が眠るところで家族で母の思い出話しをしました。
あんなこともこんなこともあったよねと話は尽きませんでした。
いま母のお骨は家のリビングにあります。
一度も手術することもなく、老衰で安らかに眠れるというのは、俺も〇っちゃんにあやかりたいと夫が言っていました。
うん、子供の私ですらもう全身麻酔の手術2回もしてるんだからそれは難しいわよねと話していたところです。
親戚にも連絡を取り、久しぶりに懐かしく話せた人もいたりしました。
親戚には、本当に母に良くしてくださって、感謝しかありません。
亡くなった後に施設の職員さんがパラパラと10人以上は母にお別れをしに来てくださって、〇〇さんはみんなに愛されていましたよとおっしゃってくださいました。
そして施設を出るときには職員さんが全員でお見送りしてくださいました。ありがたかったです。
母は私たちに人間の生き様を見せてくれていたようだと思いました。
あの世でお父さんたち(早くに亡くなった私の実父と母が再婚した(継)父)と再会している事でしょう。
今日は母が美味しいといったホタテの貝柱のバター焼きを供えました。
お花屋さんと相談して、母のために選んだお花