母は90歳。

10年近く前のこと。

「プリンターに紙が引っかかって取れない」
と母から連絡がありました。

近所に住んでいるけど
あいにく外出中だったので
メーカーのホームページをスマホに送り、、
何とかしてもらうことにしました。

しかし、、
「よく分からない」
と返信がきて、、

しばらくすると、、

「何とかする❗」
とLINEがきました。

母は、、
本当に何とかしました。

な、ん、と❗

プリンターを風呂敷に包んで
家電量販店まで車で運んだのです❗❗

(80過ぎまで運転していました)

大きな風呂敷包みを持った
おばあさんがやって来て、、

店員さんが駆け寄ってきたそうです。

「事情を話したら
すぐに直してくれた。
しかもタダでやってくれた😁」

と満足げに語る母に
何も言えませんでした。

母は、プリンターの紙づまりを自力で何とかしたことで、、
満足感、達成感を味わったのでしょう、、
その後もあちこちで、武勇伝として自慢げに話していました。

人は、その人が持っているリソースで問題解決をするのだな、と納得しました。

そういえば、、

突然、雨が降ってきた時、、

娘は、、
学校の忘れ物の傘を借りてきて、濡れずに帰ってきました。

息子は、、
大喜びでズブ濡れになり
水溜りで遊び、、
泥んこになって帰ってきました。

どちらが正解で
どちらが間違っている
ということはないのだと思います。

その人が自分の持っている知識や経験、能力、感性、、など様々なリソースで納得する解決をすればいいのだ、、と思います。

そんな母も
80の半ばから
体調を崩すことが何度かあり、、
入院、検査入院、、
救急車で運ばれることもありました。

その度に
「ひろこが居てくれて良かった」
と言われ、、

私は心の中で
「でしょ?」
と、ほくそえんでいました。

でも、、
それが3回続いたとき、、
「ひろこが居てくれて良かった」
という言葉に違和感を覚えました。

心がざわつく、、

ざわざわ、、
ざわざわ、、

ゆっくりと自己対話して
見えてきたことは、、

私は「役に立った」という有用感に酔いしれていたのだ、、ということに気づきました。

認められたい
誉められたい

そんな承認欲求を満たしていたのです。

そして、、

もしかしたら、、
私のそういう意識が
この状況を生んでいるのではないか?
という疑問が湧いてきました、、

ならば、、
これを手放したら
どうなるか見てみたい、、

そう決意して、、

いい娘であること
役に立つ娘であること
を手放すことにしました。

それは、、
「冷酷な娘と思われてもいい」
という覚悟でもありました。

親だけではなく、、
親戚や、近所の人に
そう思われても仕方ない、、
と肚が決まるまで、、
何度も、何度も葛藤がありました。

最後には

「親を見捨ててもいい」

と覚悟を決めて

実家に顔を出すことを
ほとんどしなくなったのです。

そして、、
自分のことに集中しました。

それから約2年。

1度も入院することなく、
救急車で運ばれることもなく、、
今日に至ります。

偶然、、
たまたま、、
なのかもしれません。

でも、、
私には、、
私の心の深い部分が
影響しているのではないか?
という気がしてならないのです。

今では
「ご両親がお元気で何よりね」
と言われると、、
「鬼娘だからです」
と応えます。

冗談と思われているけれど、、
冗談ではなく、、
私は真実じゃないかと思っています。

ひろこ

Lifestyle Labo主宰
産業カウンセラー
風水薬膳®️ライフスタイリスト

※現在、風水薬膳®️ライフスタイル講座の一般募集は行っておりません。

Lifestyle Labo は
🇸🇪スウェーデンにある日本のお茶室
"瑞暉亭Zui-Ki-Tei"の保存活動を応援しています。