前の記事とのつながりですが、ここからは中級編。


さらに少し詳しく話をすれば。

人を不快にさせたりする人がたまにいますが、普通に考えたら誰得です。
ですが、さっきのエネルギーの話と絡めると実は意味が出てきます。


よく、2ちゃんなどで、無駄に煽って人を怒らせたり不愉快にさせるコメントを投稿する、あらしと呼ばれる輩がいますが。
なんであんな誰も得をしない不愉快な事をするんだろう?とまっとうな人なら思うでしょう。

ですが、
世間でよく言われるエナジーバンパイアの考え方からみれば、あれも実はエネルギー的には意味がある行為なんですよね。

エナジーバンパイアとは?


人を不快にする事で人のエネルギーを無駄に消費させ疲れさせる。
あらしは、それが楽しくて仕方ないのです。

よく、「あらしにはコメントしない。返信はあらしには何よりの滋養」と言われますが、これはまさにその通りです。

正当性や理論なんて、彼らはどうでも良くて、自分に対して不快を感じた分だけ楽しく嬉しいというメンタリティをあらしは持っているんです。
だから、絶対に考えを変えないしスタンスも変えないし、反省もしない。
そもそも煽る事自体が目的なので、イチャモンつける理由はなんでもいいんです。
ヤクザと同じですねw


この不快にさせるというのは集中や意識を集めると同義で。
いわば、エネルギーを受け止めてるのと同じです。
ほら、炎上マーケティングって
あるじゃないですか。

あれも、人を怒らせたり不快にさせて注目を浴びてますよね。
あれも上記と似たような力の集め方です。


というように、形には見えなくともエネルギーという考え方で物事を見ていくと、なかなか違ったものが見えてきて面白いですよ。

ほとんどの人は意味の無い事はしませんからねw
やるからには何らかの意味があるのですw
(人は本当に無価値なものに対しては無関心です)


「いじめたり、煽ったり、悪口を言ったり、それ自体もかなりのエネルギーを消耗する行為です。そんなにエネルギーを使うからには何らかのメリットがあるはず…だって人は本当にどうでもいいものには無関心しかもたないから」と考えた方が色々と見えてくるものは多いですよ。


感覚を磨いて行けば、ああこの人いい人ぶってるけど搾取系だな。とか、この人は良い人だけど搾取されてうまくいってないな…とかだんだんわかってくるようになりるかもですね。

いわゆる、人の不幸で飯がうまいってのは、ある意味では的を得ている概念ですね。


こわいこわい






















iPhoneからの投稿
さっきの記事の続きになりますが、
余計な脳のメモリを使わないと考えた時に、嫌がらせを受けたり、嫌な気分になる事も実はかなりの脳のメモリ消費やエネルギーの浪費になります。


例えばあなたがクリエイターだとして、ニコニコ投稿して、嫌なコメントがついたとします。
その後、ものを作る時にそのコメントが頭の中でリフレインして作業が進みません。

はい、どうみても無駄なエネルギー取られてますねw

見なければそんな気分にはならなかったという事は、そのコメントのせいで脳のメモリを無駄に占有されたり、そのコメントの嫌な気分から回復するためにエネルギーと時間を消費してるという事です。
モロに物理に影響がでとるやんw

というように、よくよく考えるとこのようなコメントのような非物理なものでも、実はしっかりと物理的に影響を及ぼしています。

なので、人は活動する時には、集中して余計な事を減らすだけでなく。
マイナスな感じになるエネルギーを奪われるものからも距離をおかないといけません。けっこうこれ重要ポイントかもです。


iPhoneからの投稿
と、適当な題目をつけましたが。

物事を行う時に頭の中にある、やる事、やらなきゃいけない事とかってのは、脳をパソコンに例えるとメモリを消費して常時起動してるソフトのようなものな気がするんですよね。

だから、常時考えなきゃいけない問題に溢れている人は、無駄な常駐タスクがある状態で…。
当然メモリやエネルギーがだだ漏れになってしまい疲れます。


何かをやりたい時にはタスクを絞ってそれに集中できる環境を意図的に作るってのが肝要かと。


はっ!
だから、日本の会社は社員に時間や休暇をあげないのかしら?w





iPhoneからの投稿
古明地さとりちゃんのようなセンサーを磨きたいと思っていましたが、
最近はむしろ鍵山雛さんの方面に走っているかも…な気がしました。


まだ眠れないのでおまけ日記です。



最近は少しセンサー感度をあげようとしているのですが、その影響か、なんとなく人の多い所、というよりは…雑な感じのする場所への抵抗感が強くなってきました。

雑多な気に紛れてなんか隠しているというか、うまくまぶして厄い変なもの振りかけとらんかこれーみたいな感じがが(自分で書いててもよくわかりませんw)
まぁなんというか、世の中の施設には普通に見せかけて意外にちょっとアレな施設が多いなぁという感じですね。



普段の生活だとつい視覚と聴覚重視で動いてしまいましが、触感や体内感覚も意識して生活すると、なんとなく違うセンサーが働いてもう少し鋭くなれる気がしますね。

実用面としては、例えば人との会話などは、相手の話の内容よりも、伝わってくるもの(雰囲気?)の方にフォーカスしたほうがその人の本意がわかるかんじがします。
ツイッターでも書きましたが、「人間は言葉と態度は装える」ので、そのあたりを意識して会話すると相手の真意が見えやすく、無駄な時間とエネルギーをかけなくてすむようになります。


まぁ要は、雰囲気とか「◯◯な感じ」みたいな曖昧な感覚の中に、意外に鋭いセンサーが含まれている気がするって話です。
慣れるまでは感覚がサルベージしにくいので、そのあたりは回数と経験ですね。



なんだかよくわからない内容ですが、ピンときた人がいたら嬉しいです

ではでは

ちょっと眠れなかったのでブログ更新w



ポジティブな時は前向きだから良い
ネガティブは後ろ向きだから悪い

世間ではよくこう言われますが、よくよく考えると本当にそうかなと感じます。



最近は、ネガティブも良い物かもというのが自分の考えです。


ネガもポジも単なる状態なだけであって善し悪しはない。

ポジティブな時には物事を肯定的に捉え行動力が生まれ、フットワークが軽くなり。
ネガティブな時には否定的ゆえに、物事を疑り深く考え、注意力が働き、思慮が深まる。

これって状態なだけであって、どっちも良い感じがしませんか?w


確かに世間ではポジティブ大歓迎という風潮が多く、パート募集とかの張り紙にも「明るく元気な方募集!」とかよく書いてありますよねw
でも、全部が全部ポジティブがいいかというとそうでもなく。
例えば地雷原や危険地帯をハイなテンションで走り回る人は、前向きと言うよりはお馬鹿です。
傾きかけの会社を抱えている時に、お気楽に考えすぎて舵を取るのもあまり良い方法とは思えません。

時に疑り、細心の注意をはらい、猜疑心を働かせ思考する。
ピンチの時には無謀な行動よりは灰色の猜疑心の方が役立つケースもあります。


そう考えるとネガティブもいいじゃないですかw

もちろん、行動しなきゃならない時にはあまりネガってもいけませんし、そういう時はポジティブの出番。

要は使いドコロですよね。

ポジティブな時にはポジティブを活かせる形を。
ネガティブな時にはネガティブを活かせる形を。

そんなふうに過ごせていけたら、「前向きでいなきゃいけない!」という強迫観念から開放され、より自然になる気がしました。



ネガティブな自分が好き。 というように、後ろ向きな自分も認めてあげていいかもですよね(^^)