昨日、

みんなが帰ってくるのを待って

レオンが逝きました。



11歳5か月でした。



虫の息のレオンを置いて

3時間留守をしていたけれど、

帰った時はまだ息がありました。


呼びかけると、

わかったようでした。



そして、
夕食の準備。


娘が帰ってきて、

「レオン」って呼びかけてさすって、

ぶるぶるしてるって・・・



そして、ご飯。


はっと、見て、

確かめたら

息がありませんでした。



ごめんね。

先週から食欲がないと思ってたのに・・・


今週は忙しくて、
あんまり注意していてあげてなかった。


ありがとう。

私たち家族をつないでいてくれたレオン。

ありがとう。


今日から私は父の初盆のために帰省します。


みんなのいる時間に逝ったレオン。

ほんとに賢い子でした。


呼ぶとくるし、ついて歩くし、
自分を人間だと思ってる
ほんとに賢いライオンウサギでした。

この子のおかげで
誰も淋しくなかったのに、

もう、うちに帰っても
待っててくれるレオンはいなくなった。



近頃、全然書けなくなってしまいました

夏休みは私にとって、息もつけないほど仕事が忙しくなる季節だし、
オリンピックを観るのに忙しい?

それもあるけれど、

忙しいのは前からだし、
オリンピックだって、そんなに夢中ってなわけじゃない。

ここは大輔くんについて思い切り書いちゃおうと
始めた場所なんだけど、

毎日
ひっきりなしにお知らせが来る大ちゃんファンさん(3~4人) のブログをちら見するだけで、

何にも書けなくなっちゃうのだ



大ちゃん愛が足りないのかしら。





 
 

私は倉敷に近い備後地方に育ちました。

大輔くんも

今の時期

きっと同じような風景を観ながら育ったのではないかな?
なんて思う

今宵です  




宵のうちとは
日没から夜の9時くらいまで
 
      
              だそうです。

天気予報用語は、「宵のうち」から「夜のはじめごろ」に変更になり、
宵のうち・・・という言葉はあまり使わなくなりました。

宵を待って咲くこの花の名が
 待宵草(よいまちぐさ)と呼ぶこともわからない時代になっているでしょうか?


    
 子供のころ、宵を待って花を咲かせる大待宵草(オオマツヨイグサ)を見に、
 ドキドキしながら、母と夜道を歩いた思い出があります。

      コンビニのない時代は
      夜は「でしたから。。。

夜道を歩くことは
ドキドキ

の出来事。




 
日が暮れての外出は特別で、オオマツヨイグサも幻想的でした。





 




 
夕暮れどきに鮮やかな黄色い花を開き、翌朝にはしぼむこの一夜花と、
恋しい人を待ちわびるやるせなさとを結びつけた詩があります。

    
 
明治時代の詩人で画家の竹久夢二の詩です。



        
   まてどくらせどこぬひとを
      宵待草のやるせなさ
        こよひは月もでぬさ(そ)うな

              竹久 夢二 作詞
               多  忠亮 作曲

     


    
 
お気づきですか
 待宵草 宵待草になっています・・・
 

  

竹久夢二が 作詩する時に、
マツヨイグサ宵待草と書き間違えてしまったんですって

彼は後で間違いに気がついたのですが
すでにあまりにも歌が有名になっており、
やむなくそのままにしておいたそうです。
  
         
「月」を待ち人にたとえ、来ないことを半ば諦めて呟いている…。
 (来ない人を待っていたのは夢二自身だったそうですが)

      
携帯電話で連絡をとることができなくて、
   せつないことがいっぱいあった・・・
      時代の話です。    


               
           

 【追記】   調べてみました
  マツヨイグサは日本に6種あり、花言葉はどの種類も湯上り美人です。

黄花を咲かせる系統は「マツヨイグサ」(待宵草)、
白花を咲かせる系統は「ツキミソウ」(月見草)と呼び、
赤花を咲かせる系統は「ユウゲショウ」(夕化粧)などと呼んでいますが、
一般にはあまり浸透していません。





 太宰治が「富獄百景]で“富士には月見草がよく似合う” と書いたのも
 竹久夢二が[宵待ち草」と間違えたのも、大待宵草だそうです。


待宵草(しぼむと赤くなる)  

臨海スポーツリンクのチャリティーフェスティバル2012に
行ってきました!



携帯電話やパットからでは投稿できず、

今日も忙しいので

東伏見から帰ったら

ぼちぼち

書きます!



旬はすぎちゃうけど・・・