ずっと放置していた。

毎週の土日は東京に出て来ている。
だが、正直一日のうち5時間近くを移動に費やすこの生活は健全ではない気がする。

東京の知人らと疎遠になるのも残念だが、小田原周辺で休日を過ごすライフスタイルを早く形成しなくては…と思う今日このごろ。
今までの事を引きずっている余裕自体が無くなってしまっており、だいぶ落ち着いた。

だが、慣れない生活に若干疲れを感じているのも事実である。

それに、今までしばらくワイワイガヤガヤした雰囲気の中で生活して居た。なので、久しぶりに一人になると、ちょっと寂しい。
大きなものを失った辛さは言葉に表せない。

ここ数日、色々と考え込んでしまった。

私のモットー:反省はしても後悔はしない。

今、自分が大切なものを失ったどん底に居るからこそ、この先に得ることができるだろうあらゆる物事、この先に出会うだろう人々に対し、より一層大切にしようと思うことができるのかもしれない。
こんなことがあっていいのか…。

時代の流れが生んだ、平成の社会の矛盾。

科学技術を生かして商品・サービスを提供する会社にいて、それは社会を豊かにし、人々を幸せに出来ると思っている。

今になって言われ始めたことでは無いが、それはとんでもない勘違いなのではないか?

我々が安直に思い描く理想の未来社会というものは、とてつもなく不幸なものではないのか?

母親がかつて指摘していた。
「現代の情報の量の多さ、勢いの強さ、グローバル化、多様化、複雑化、変化の早さは人間の限界を超えている。これは今後、随所で矛盾を生み、人々を不幸にするだろう。」
その時、私は反論した。
「それは現代社会の競争に負けた人が言うことだ。」

今、もう一度同じ意見をぶつけられたら、どう返事をするだろうか。

決して同じセリフは出てこないだろう。
酒の勢いで、ジョハリの窓をかなりオープンさせた気がする。

後悔は無い。

状況がどう転ぶか分からないところが、自虐的だけどわくわくどきどきで面白い。