震災 中国人を救った日本人
櫻井健悦(ケイ・エス代表取締役、石巻木鶏クラブ会員)
『致知』2011年6月号「致知随想」
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中国ではいま一人の日本人男性の命懸けの行為が
国民の間で大きな感動を呼んでいます。
宮城県女川町の佐藤水産専務・佐藤充さん。
享年五十五歳。
二〇一一年三月十一日。
東日本を巨大地震と大津波が襲ったこの日のことは
私たちの記憶から一生消えることがないでしょう。
佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で
業務に当たっていました。
近年では中国遼寧省の大連から研修生を受け入れており、
三年という期限付きで二十人が加工や出荷に携わっていました。
震災が起きたこの日も、いつもどおり
冷たい水作業に手をかじかませながら
和気藹々と仕事に勤しんでいたのです。
午後二時四十六分、突然の激しい揺れが襲いました。
驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎の傍の
小高い場所に避難しました。
しかし彼女たちには津波に対する十分な知識がありません。
佐藤さんは怯えながら寄り添う研修生の姿を発見するや
「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」
と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。
そして、残っている従業員や研修生はいないかと、
自らの危険を省みることなく再び会社に戻ったのです。
すでに津波は目前に迫っていました。
水かさは一秒ごとに増していきます。
佐藤さんは屋上に逃げたものの、
高台にいる研修生の前でついに社屋ごと津波に呑まれ、
そのまま行方が分からなくなりました。
研修生たちはなすすべもなく、
泣きながら見守ることしかできなかったといいます。
大雪の中、帰る場所を失い途方に暮れる
研修生たちを助けたのは、
佐藤さんの兄で社長の仁さんでした。
仁さんは悲嘆に暮れる間もなく、
山手に住む知り合いに助けを求めて研修生の居場所を確保し、
二十人全員を無事中国に帰国させたのです。
「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、
私たちは全員津波の犠牲になっていた」
研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、
中国のテレビや新聞は一斉に報じました。
(略)
-----------------------------------------------(引用)
「命てんでんこ」
合掌。
ですが、ただただ、頭が下がります。
何が、身体を動かせたのか・・・わかりませんね。
ただ、言えることは、、、身体が動いたのですよね。
わからないですよね。
と、いったらいいか、本望だったのでしょうか。
亡くなられた佐藤さんの本意だったのでしょうか。(変な意味でなく)
・・・
と、言ってくださっているようですが、
中国の方は、日本人は素晴らしい、素晴しい
下世話な話ですが、
命を落とした方が大勢いるようです。
今回もせっかく避難したのを、家に引き返して、
日本人の民族性なのでしょうか。
人間として、なのでしょうか。
というような、教えはあっても、なかなかそうはならない。
命はそれぞれ自分のもの・・・といったいみでしょうか。
津波になったら、自分のことだけを考えて、なりふり構わず逃げろ!と。
前の大津波の経験から、そう云われてきそうです。
沿岸地区では、
専務の満さんのご冥福をお祈りいたします。
佐藤さんご兄弟、立派ですね。

















