ここまで実践していて気づいたこと。
メソッドややり方などはあまり関係ないということ。
というのも、自分の気分が悪いと
私の場合、やたらとメソッドを変えてしまう。
単純に同じメソッドをずっと続けていると
色々な疑問というエゴが発生しやすいことに気づいた。
ある程度続けていくと
変わらない現実や起こっては嫌な出来事などがおこり
この方法でいいのかという疑問が出てきたり
それに乗じて、気分が悪くなる。(イライラ、落ち込みなど)
なので、その気分を良くするにはという名目で
色々と新しく試してしまうというのがある。
しかし、結果的には、一過性の物にすぎなかった。
ただ、自愛という観点から見ると
自分に合わせた方法をその都度、実践するのは
自分の心を落ち着ける行為でもあると思った。
また、どんなメソッドや方法でも
最初の入り口としては
自分が心地よくなれるかどうか
落ち着くことが出来るかどうかではないかと思った。
いわゆるこれが快というやつだろうな。
つまり、色々なメソッドや方法が数多くのあるのは
この自分を心地よくする方法が、たくさんある
ということなのではないかと思った。
すべて、自分の心落ち着かせてくれたり
心地よくしてくれるツールにしか過ぎないのではないかと思う。
ただ、願望達成という目的があると
例えそれが苦痛であっても続けようとしてしまう。
願望を達成するために。
しかし、苦痛を感じるメソッドであるのなら
潜在意識の構造上
苦痛を感じる苦しい現実がやってくる。
私の場合は、毎日があまり楽しくなかった。
その裏には、楽しみたいという欲求があった。
そしてその願望が
自分の人生の物差しになっていることもわかった。
すべてを楽しいかそうではないかで判断してしまっていた。
また、友達と集まっても
楽しもう、楽しもう、と思って
楽しい感じにふるまうが
結果的には、あまり楽しくなかったということが
多かった。
というか、楽しそうにしている人たちがうらやましく
そのようにふるまえば楽しくなるのではないかと
結構バカな騒ぎ方をしたことがあった。
しかし、結果的には楽しくなかった。
楽しそうにしている人たちの真似をしていた
だけということだ。
全くそのつもりはなかったから
これは隠れた思い込みだと思った。
そして、自分はいつも
人生を楽しみたいという欲求に
悩まされていたんだということに気づいた。
だから、楽しくないことにものすごい嫌悪感を抱いた。
しかし、そのことですら日常になってしまっていた私は
楽しくない毎日を作り出している自分も責めていたように思う。
バカみたいに、面白いことをいおうとしていた自分がいる。
これは最初承認欲求かと思っていたが
まったく、承認欲求がないわけではないが
どうも腑に落ちないことで違和感を覚えていた。
よく、自分を知ることが大事というが
もしかしたら、勘違いに気づくということでも
自分を知ることは大事なのかもしれない。
今の自分に対する自愛としては
「楽しくなくてもいい」だ。
楽しくなくても、いいと思っていたら
意外と楽しんでいることがあることにも気づけた。
それは、テレビなどで見るバカ騒ぎをしている輩の
楽しそうな雰囲気とは違い
落ち着いた感覚だった。
つまり、自愛は、今の自分を大事にする
ということであり
楽しくないと思うときは楽しくなくていいし
気が重いとかそういうときもそれでいいとするものだとわかった。
感覚的に。
願望はその典型なのかもしれない。
無理にそれを求める必要はないのかもしれない。
結局のところ、私は楽しい人生を送りたいという欲求の元
色々な願望がわいていることが分かった。
たぶん、その願望が叶えば楽しいから
という推測のもとで、その願望を持っていた気がする。
ただ、その願望を持った分
楽しくない現実を目の当たりにするとひどく落ち込んだ。
楽しくないくらいならいいのだが
自分の予期していない嫌なことが起こると
なおさら落ち込み、時には絶望した。
それを見てさらに、
自分は楽しい人生を送りたいという願望を
強化したようにも思う。
それと同時に、
はたしてその願望が達成されれば
楽しくて幸せな人生になるのか?
という疑問も発生していた。
でも、簡単にこれは解決できることだった。
「楽しくなくていい」「幸せでなくていい」
自分が、楽しくない、幸せじゃないと思うのであれば
まずは、その自分でもいいことを受け入れることが
先決だということが分かった。
最初は、楽しくなくていいわけないと思ったが
楽しい人生にしたいという思いで
かなり落ち込んでいたので
もう、これに付き合うのはいいんじゃないか
というあきらめに近い感覚だった。
ただ、その後は、良いことが二つもあった。
それでわかった。
無理に楽しもうとか、幸せになろうとしていたことが
良くなかったんだと。
落ち込んだ自分、絶望している自分、
楽しくないと思う自分、
そういう自分でもいいのだと思えることが大事なのかもしれない。
そう思うことで
気分が落ち着くのであれば
それが自愛になる。そう思った。

