練習後、ある選手と1対1での対話において、


「一生懸命やるにはどうすればいいの?」


「どういうことなら一生懸命になれるの?」


ということを話した。



一生懸命になれない自分がいる。


なら、何故一生懸命になれないのか?


「苦手なことだったから」と。


なら、どういうことに対してなら一生懸命になれるの?


「………楽しいと思えること?」


確かにそうだ。



じゃあどういう時が楽しいの?


「上手く出来たときとか出来なかったことが出来たとき」


じゃあその先はどうなるの?


「………成長できる。」



じゃあ成長出来ると思えることをしてる時は楽しいって思えるってことだよな?



彼はそこから、一生懸命になれる自分を探す何かを感じてくれたと思う。


辛いことや苦しいことを「楽しい」に変える方法を知った。



彼が変わる一つのキッカケになればと思う。



余談ではあるが、今ちょうど自分自身が彼と同じ壁にぶつかっていた。


彼と話をする中で、自分自身に言い聞かせているような感覚もあった。


そして、自分の壁を越えるヒントを貰った気がする。



伝えているようで伝えられていた。



一緒に話をしてくれた彼に感謝したい。



ありがとう光希。



「うわぁー、きっつ!!」


体幹トレが終わった後にバタバタと崩れていき、筋肉が悲鳴を上げている様子を見ているとこちらは嬉しい。


追い込むことがこちらの役割でもあるからこそ、そういう姿を見ることはこちらの要求が彼らの今の限界のちょっと先にあるということを感じる。


物足りないことはしたくない。


やるからには苦しい経験をちょっとでもいいからさせてあげたい。


求められれば質を上げる準備も出来ている。



以前、卒団していった選手からもらった色紙に「コーチのメニューはきつかったです」ということが書かれていた。


そういう印象を持っていたのはそれをもらった時に気付かされた。


そう言われてやっぱり嬉しかった。



そして最後に「でもそのおかげで自分が成長することが出来ました」とも書かれていた。


そこに至るまでのプロセスを思い返すとこれからもキツイことを要求せずにはいられない。

自分自身で見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したこと、これが自分の糧となり自身を形成していくことは事実。


ただ自分自身だけで世の中のこと全てを知ることは難しい。


だからこそ、誰か他の人が見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したことを伝えてもらうことでまた自分の世界を広げることが出来る。


自分が直接得たものではなく、間接的に得たものになるので自身が経験したものに比べれば少し内容が薄くなってしまうのも事実ではあるが、それを自分のモノにするのかあくまで他人のことだからと突っぱねてしまうのかでは大きな違いが生じる。


自分が経験したものとは違う引き出しに入れて分別してもいいだろうし、自分の経験と織り交ぜて使うも良し。


自分の経験や考えと、他者の経験や考えを組み合わせて自己を形成する。


他者は自身を大きくしてくれる可能性をたくさん持っている。



言い方は悪いかもしれないが、他者を利用することも自身の成長には不可欠だと思う。


その為に他者を受け入れる窓を常に開いておこう。