その頃の私はまだ、

愛する苦しみも、

性交の喜びも知らなかった。


その頃の私には、

9歳年上の彼氏がいて、

男の人がいつでも性交出来る訳じゃ無い事を知った。



そして、ピストン運動に付き合う苦痛も知った。


始めて、私をベッドに誘った日

彼は自己と他者への双方ともに「オーガズム」を得ることが出来なかった。

ただ以降の性交は彼自己の「オーガズム」のみだったのだけど。

触れられることも、見られることも、全てを私が拒否した為だけではなかったと、そう思いたい。

でなければ、数年後のあの手紙が届くことは無かったと思う。

私の未熟さもあったのだろうが、まだ、交わりに何の意味も見出せ無かったあの頃。


出会ったのは、仕事の関係だった。

出向先を紹介する営業の人。


「少し時間があるので、お茶でもしましょう。」

「はい。」

これから行く先の仕事の事を

簡単に説明されても、イメージが少しも出来ずに、

どう考えても退屈な時間がまた、別の場所で始まるに過ぎないだけで、

大差はないのだという思いしか無かった。

「ここの珈琲美味しいですね」

私は二杯目の珈琲を注文する。

アンティークな椅子の座り心地も、暗い照明も少し気分を暗くするのには十分な要因となったが、珈琲が美味しかった。

彼は、色々と話をしてくれていたんだと思う。

かなりの年齢差を感じて、何気ない会話は少し照れ気味で。

仕事の話や、趣味の写真の話をしていた。

話し続けていた。


「二十歳の原点の高野○子に似てる」
そう彼は言うけれど、
「私は自殺しそうって事なの?」
そう心の中で問いかける。


始めてあった人間に、突然こういう感想をもたれるのは、かなりの違和感を感じてはいたが、正しい見極めなんだろうな。変わった人だな。

初日の感想。

ただ本当にそうなるところだった。
数年後に「自分の命を絶つ」事を試みる私。
それさえ解っていたのだろうか。



「今日は、5時までここで作業をお願いします。
○○さんが、作業内容を指示してくれます。
僕は、これで帰ります。
また、顔を出しますので、
何かあれば言ってください。
今月中は、こちらでの作業をお願いしたいです。」
そう言って彼は帰って行った。



で、彼はその日5時にやってきた。


「初日はどうでした?」
って彼は聞く。

「特には」
って言う私。


途中の駅まで同じ方向だった。

「あの。カウンターの狭い店ですが、この近くに美味しい珈琲が飲める店があるんです。どうですか?」
って

「少しなら大丈夫です。」

もちろん、珈琲に興味があった。そう、彼には悪いんだけど、

かなりの割合でいつも「珈琲」に興味が湧いた。

確かにその店の珈琲は美味しかった。

すごく狭いカウンターのみのお店で、カウンター内には、女性が二人。

すごく綺麗な女性二人がカウンタ内に居た。

立ち振る舞いが綺麗で、容姿も綺麗だった。



それから、毎日5時に彼はやってきた。

そして、珈琲をその店で一緒に飲んだ。

そして時折彼は、
「やっぱり似ている。」
と、言った。

私はその仕事場では、特に何もすることは無かった。

出来ることが無かった。

毎日知らないおじさまたちがやってきて、
美味しい社員食堂でお昼をたべて、3時には机にたくさんの
珈琲やジュースが並んでいた。

不思議な光景だった。周りの机の電話が常になっていて、みんな難しい顔をして、仕事をしているのに、私の机には、飲み物が並んでいるだけの毎日。

朝はとても早くて、とても込み合う電車に揺られて、きちんと5時には、
「お疲れ様でした」という挨拶で、椅子から立ち上がる。


そして、
彼はいつも、毎日5時にやってきて、
珈琲を一緒に飲みながら、
趣味の写真の話や音楽の話をしていく

それだけの毎日が続いた。
同じ毎日の繰り返しだけど、退屈という毎日でも無かったと思う。

そして、一カ月後の日曜日に、彼は車でやってきた。

趣味の写真が撮りたいと、
カメラを持って私を助手席に乗せた。


かなりの枚数の写真を撮っていた彼がレンズ越しに私を見る。

「快感になるかも」って少し思ったりしながら、撮影が続いた。

「レンズを取りに家に帰っていいかな?」

「うん」


少し車を走らせて、彼の家に着いた。古い家だった。
「上がる?」
「うん」
彼の部屋には、たくさんの写真があった。

その中で、ひときわ目を引いたのが、制服姿の女性だった。

「古い写真ですよね?誰?」

「○○」

「えっ?同じ名前、、、」


「そう。そうなんだ。」


すごくその写真に引き込まれた。

モノクロの写真だった。
瞳が印象的で、引き込まれるものがあった。
すごく綺麗だったけど、すごく哀しい。

絵画には割と興味があったけれど、写真に興味が湧いたのは、おそらくこの時が初めてだった思う。
色がないからこその、その写真から感じるものがあるんだろうな。

ただ、その写真には「色」は無くても、一部に色を感じたのと、胸を締め付けるものがあった。
何とも言えない哀しみがそこにはあった。

電話が鳴る。彼は少し話して、
「今から、近くの友達の家に行くんだけど、いい?」
私に聞いた。
「うん」
そう答えながら、私はまだ、写真から目が離せずにいた。

たぶん、かなり前の写真だし、
彼女ではなくても、とても好きなひとの写真だと思った。

今でも覚えている。


彼と飲んだ色んな店での珈琲の味は覚えている

でも、彼の名前は覚えていない。


結局彼とは、長く続けて行けなかったと思う。

同じ季節を2度経験しなかったと思う。
たくさんの場所で珈琲を飲んだし、その場所は覚えている。

でも、名前は思い出せない。



車で少し走る。
学生時代からの友達だという家に着いて、友達とその奥さんを紹介される。

「まぁ、可愛らしいこね」
「お前、犯罪にならんやろな」

もともと若く見られる事が多いけど、犯罪にはならない年齢。
私は自分の年齢と名前を言う。
そしてみんなの動きが止まる。

私の名前を聞いて、その友達が私をじっとみつめる。

その奥さんも私をじっと見つめる。

重い空気を感じて、私は、

「あっ!写真のひとと同じ名前みたいですね」

って言うと、またみんなの表情が少し変わる。

複雑な表情に変わる。

「見たんだ」そう友達が呟いたようだった。


その空気の中、その人はやってきた。


「う~寒い寒い。おっ!きてたんか」



その人には、

その人には、

とても綺麗で優しく頭の切れる彼女がいた。


「その人」

は、彼の親友だった。

何をどうしたいのか解らないのだけれど、彼の声も聞こえてこないくらいに、その人を見つめ続ける自分に気づいて、動揺した。

落ちていたのかもしれない。


彼の友達の家で、お茶を頂いて、今度一緒にバーベキューをしようという事になった。

その人も一緒に。

友達の家の帰りに、彼は長い沈黙の後、
「静かなところに行っていいか?」
それって、誘ってるんだろうな。言葉が見つからない私を理解出来ず、特に否定もしなかったので、彼は車を止めた。

建物内に入ると、すごく大きなベッドがあった。
薄暗い照明の中、彼に抱き寄せられた。特に何も感じなかった。そして、彼の手が私に触れようとする事には抵抗してみた。服を脱がそうとする事にも、照明を明るくする事にも抵抗した。それは彼には、恥じらいと取れたのだろう。私の中に分け入ってこようと必死だったから。そして「ごめん」と言って私から離れた。
「ずっと、駄目なんだ。」
そうか、謝るのはそっちなんだ。
それから彼は、会う度に私を抱きたいと言った。ただの一度も抱かれた記憶は無い。
彼の道具の一つみたいなものだったから。痛みには徐々に慣れていった。

「彼女は、親友の彼女だったんだ。なのに俺は彼女を抱いてしまったんだ。その事は、彼女と俺しか知らない事実だった。」
彼は独り言の様に話し始めた。

「俺がバイトの最中に、親友がバイクで事故を起こしたと連絡が入ったんだ。
そのバイトはどうしても動けないバイトで、居ても立っても居られなかったんだけど、バイトを終えてから、病院へ向かったんだ」


彼はたんたんと話し続けていた。

「病院につくと、真っ青な顔の彼女がいたんだ。」
「あの写真を観て、彼は「そうか」って言って、バイクに乗って帰ったの。」

「そう彼女から聞いて、俺は全てを理解したんだよ。」

細かな説明はなくて、その時を思い出しながら話しているみたいだった。

「何でだろう。名前だけじゃないんだ。何か違うものを君に感じたんだ。
君に惹かれたんだ。ごめん。あいつらにも言ってないんだ。ほんとに始めて誰かに話したよ。
多分あいつらは、気づいてるとは思うけど、特に何も聞かないから何も話してないんだ。
その後彼女は、二度と俺の前にも、誰の前にもあれ割れなかった。
親友の告別式にも姿を見せなかった。あの写真だけが残ったんだ。
高校生最後の年だった。俺の写真がある賞をもらって、学園祭に飾られたんだ。
それをあいつがみたんだよ。」

彼はずっとこれを抱えて生きてたんだ。私に何を見出したのかは知らない。
だた何かが彼には、見えたんだろう。


それから、ほぼ毎週彼は車で私を迎えに来た。
特に予定も無かったし、「あの人」に会えるかもしれないという事も
私を動かしていた一要因だったかもしれない。
実際毎週ではなくても、その人に会えた。ただ隣には必ず綺麗な彼女がいた。


12月に入ったころ、
「来週、スキーの予定があるんだけど、行ける?」
って、彼に聞かれた。
少し考えた。スキーの経験はあるけど、雪は好きだけど、
少し考えた。
「あまり上手くないから、迷惑かも。」
「大丈夫だよ。みんな君に会いたがってる。夜中から出発して、次の日の夜には帰る。
君は、車で寝ているといいよ。」
「あいつも多分くるよ」

スキー場に着いた時、
その人はいなかった。
私一人初心者向けのゲレンデで、何度も転びながら滑っていた。
彼も彼の友達もその奥さん、上級者向けのゲレンデで滑りにいった。
お昼ごろに落ち合う約束をして。

何度も転んで、少し起き上がるのが面倒になって、
転んだ格好のまま、空を眺めていた。
「きれいだな」
そうつぶやく私の視線を遮る顔があった。
その人だった。
「大丈夫?おこしてあげようか?」

そう言うその人の顔が、私のすぐ近くに会った。

「大丈夫です。なんでこんなところにいるんです?」

「君がいると思ったから、助けに来たんだよ」

「大丈夫です。」

「頑張りやさんだねぇ」
にっこり私に向かう笑顔が苦しかった。

迎えに来たんだよ。そろそろお昼にしようって、みんな待ってる。

昼食後も、その人は私のまわりで滑っていた。
「どうしてみんなと行かないんですか?」

「君が滑ってるの見てるから」

今日は、隣に彼女がいない。




そして、
その頃、

彼女とその人が別れたと聞いた。


そして、
もう、彼と会わないと決めた。

彼に会わない事で、その人にも会えない。

でも、私は彼に、別れを切り出した。
その時の私の選択肢には、「それ」しか無かった。

彼に別れを告げた日の事は、鮮明に覚えている。
少し雨が降る日。

雨の匂いは少しきつく感じてはいたのだけれど、私はいつも通り、傘も持たずに、待ち合わせのカフェに行った。

彼は、ずいぶん前からそのカフェにいたのだろう。


休日はいつもここで、待ち合わせをしていた。

時間なんて決めた事は無かったけど、会わない日もあったけど、急に雨が降り出した事と変わらないように、休日を過ごした。

ただ今日は違う事を感じながら、何も会話を交わすこともなく、お互い、コーヒーを飲んでいた。

そして私は、彼に別れを告げ、そのカフェを後にした。


一度も振り返る事もなく。

彼の声を遠く聞きながら。





数か月後、「彼」から手紙が届いた。