約8ヶ月のたびを終え帰国。
ふぅ~
まずはいつものことながら健康診断へと出かけた。
歯医者と婦人科検診は必ず旅行前後に受けます。
いつも通り、ひととおりの検査を終え帰宅。
検査結果は長くても10日なので余裕も見て2週間後にタイ行きのチケットを翌日購入。
日本滞在期間わずか2ヶ月だったため、バイトはせず、ビザや出入国関連の手続き等を済ませた後はジョギングなどのエクササイズに加え、町をぶらぶらしたり友達と久しぶりのの再会を楽しんだり、FACEBOOKなんぞでこれまでに出会った欧米人たちとの交流を楽しんだりして過ごしていました。
ああ~平和ぁ!しかも日本語は楽ぅ~なんて思いに浸りながら・・・
タイは19日成田発。その数週間前に検査結果を聞きにクリニックへ出かけたのは同月の初旬の出来事
先生「子宮内異常はありませんでしたよ、ただ感染症が1つ、でもこれは抗生物質を2週間処方しますので確実に飲んでもらえば完治しますので問題ありません。ただね・・・がん検診のほうでひっかっかったようなんです。ステージは3-aなんです。これはね・・・」
子宮がん検査はうちが癌家系だからと言って定期的に受けていたわけではなくたまたま行くといい間隔で市の検査が受けられる時が多く、それが重なって定期的に受けるようになった感じのものでまさかの大穴でした。
でもよく聞けば別に今、どうこう言うわけでもなくまたステージ2に戻るケースも多々あるというとだったのであーそうなんだーと呑気に聞いて説明を聞いていました。
先生「・・・というわけでさらに精密検査が必要なので紹介する病院へ予約を入れたいと思いますがいつがいいですか?」
私「・・・(まてよ、チケット買ってしまってるなー、どーしよ。いつ?いつまで?」
結局紹介された病院の予約は取れたものの日付がきわどくこちらで探すことにしました。
その日は帰宅して直ぐPCの前へ。
細胞診という検査を受けなければいけないわけですが調べればこの細胞診、ヒトパピロマウィルスの感染による性感染症の1つとされる子宮頸がんにおいて最初の検診で3-a以降の結果が出たら次に受けなければいけないもので綿棒等の器具を使って子宮内の細胞をへつりそこからさらに詳しく結果を出すというもの。
これが今欧米では液状細胞診方法というものがあり、70種以上もあるといわれるヒトパピロマウィルスの中でもがん細胞へと進行する非常に確率の高い16型、18型他 を限定するところまでできるという優れもの。私の場合まず2回目の検査でも3-aという結果がでるか否か、また同じであった場合ウィルスの型までは調べずおおまかにそれらが悪性へと進行するものかその危険性が極めて薄いものであるかを調べる所までをお願いしました(追加費用7000円)
ネットで検索し、神戸の三宮にあるこの液状細胞診を取り扱っているクリニックで受けることにしました。
しかし検査結果は出発日までに間に合わず仕方なく、タイから電話することに決め、タイ行きは決行しました。
最初は性病、次に癌。。。なんだか全部今一度これでもう打ち止めかどうか知りたくなり血液検査でHIVから何から全部調べてもらうことにもしました。
そしてフライト。バンコクで結果当日を待ちながら約1週間、チェンマイ行きを引き伸ばしつつ現地ツアーがスキじゃない私もあまりの退屈さにワンデイツアーを申し込んだりして・・・
で、ようやく検査結果の当日の朝。
バンコクのインターネットカフェから日本へダイヤル。
先生「あのー・・・結果は同じく3-aでした。しかし18型等の悪性のものではありませんでした。ので今後は6ヶ月に1度の検診を怠らず様子見てください。ただね・・・もっと悪いことがおきまして・・・あのーHIVの方で陽性がでたんですねぇ・・・こっちが問題です。今研究所の方から再検査をしたいと依頼がありまして。・・・あ、1週間後にわかるそうです、1週間後にもう1度連絡ください。稀にですが誤った反応が出ることもありますのでとにかく1週間まってみてください」
私「あ、あのーこれは彼氏に伝えなくてはいけませんね?」
先生「いえ、1週間まってみてください。誤診ということもあるんです、本当に。なので今は必要ないですよ」
what a hell!
電話を切ってよく考えてみた。
実は彼氏というのはもう今は別れてて、でもメールやチャットは時々してるという程度。
私はまず誤診ではないな、と直感。そしてこの彼氏からもらったんだと確信したりして・・・
この後の数日の一人で過ごしたバンコクの安宿の夜は今でもよく覚えています。また別の時に書くとして。。。
そして1週間後。
先生は同じせりふで追加に至急帰国して精密検査を受け、治療が必要な段階であるならば今は薬があるのでそんためにも一刻もはやく帰国してください、と。また発祥は抑えられる、つまり死なないんですよ、と励ますようにさらに帰国を促した。
それから2日後私は帰国しました。
3/6/2009の出来事