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WILL's blog

自分自身と向き合うためのブログ。


性同一性障害(以後GID)当事者のブログやインタビュー等を見ていると、

「性同一性障害に生まれて良かったと思っています。」

といったようなことをたまに目にする。
非当事者には味わうことのできないものを味わえたからとか、GIDだから出会えた友人がいるからとか。そのようなことが書かれている。そう思えるのは素晴らしいことだ。


俺は、よかっただなんて全く思えない。
今までそう思ったこともないし、これから先もきっと、そう思える日はこないだろうな。
俺にとっての性同一性障害とは、文字通り、生きていく上で障害をきたしているものでしかないからだ。


しかし、こう生まれてきたからこそ味わうことのできた感情、経験など、たくさんあることも事実だ。それらが俺の土台となっていることは間違いない。
感情においては、辛い、悔しい、悲しいなどそんな感情をたくさん味わうことができたし今も尚味わっている。
これはGIDを抱えて生まれてこなくても生きていれば誰しもが味わう感情だが、GIDだからこそという場面での感情の話。

そして何かから開放されたときの感情というのは、ただただ素直に「嬉しい」だった。

例えば一番分かりやすい体の変化で言うとホルモン治療によって声変わりが始まった時、ヒゲが生え始めた時。手術後など。

そして改名後に公的書類に記されている名前を目にしたとき。
俺は嬉しさのあまりレンタルショップやインターネットカフェに行きまくり、堂々と身分証を提示して会員証を作りまくった。
(それまでは、良くない手を使ってまで通称名での会員証を作っていた)。

そしてそして、戸籍の性別を訂正をしたとき。
わざわざ戸籍謄本と住民票を取り寄せ、保管してあるほどだ。
何度も何度も見て、その度一人で喜んでいた。
そしてことあるごとに眼科、皮膚科、耳鼻科などへ行きまくったものだ。(笑)
普通に病院へ行けることがとても嬉しかったのだ。
保険証を提示し、保険が適用されることが嬉しかった。
それまで俺は怪しまれて保険証を使えず実費だと言われたり、受診すること自体を拒否されたことがあった。


"嬉しい瞬間"というのはまだまだあるが、主にこんな感じだ。
これらはGIDを抱えていなければ味わうことのできない喜びだろう。
全て、"当たり前"のことだから。
その当たり前のことに対して俺はその都度大喜びしているのだ。


人生においてそんな瞬間を多くもてたことは唯一、GIDを抱えて生まれてきて良かったと言えることだろうか。
ちょっと違うような気もするが……。


そしてそれらの感情や経験が俺を作り上げてきたのだ。
全てが土台となり、今の自分や今の生活がある。
それらなしで今の自分はないということ。

そう考えるとやはり、いくら当事者としてではなく所謂普通の男性として生きているからといっても、GIDを抱えているということを忘れることなどできないし、これからも真摯に向き合い闘い続けていかなければならないなと思う。
周囲の人に公表するつもりはないが、自分の中でだけはしっかりと。


戸籍の問題が片付いたり手術を全て終えたとしてもずっと付きまとう現実というものはあるし、治療が終わることもないし(ホルモン治療においては一生モノだから)。

最初にも書いた通り、こう生まれてきてよかったと思える日は恐らく俺にはこないだろうが、向き合い、受け入れ、それを認め、強く生きていきたいと思っている。

今の俺は、GIDである自分をまだ完全に受け入れ認めることができていない。
自分との闘いはまだまだ続きそうだ。