いやー、セキララ!
等身大!
そんな考え方してたのか 笑
屁理屈があっても、自分なりの精一杯を感じました。

今までだったら、恥ずかしくて非公開にしたかも。
そこをまあ、あえてぶん投げておきましょう。

あの時お腹にいた子は、もう2歳。
この子が出てくる前に、なんとかマトモにならなきゃ!!と大慌てだったのを思い出した。

あの頃に思ってたマトモっていうのは、今思えば単なる「自己肯定」だった。
とにかく安心したかったんだよね。
「大丈夫な自分」になりたかった。
それって、どんな?って掘り下げていける程イメージなんか出来てなかったけど。
その時も、まだまだ他人の評価を全ての基準にしていたという事かな。
もっと言えば、他人の評価が大切というよりは自分の評価は無価値、ってニュアンス。
このスタンスで長い事生きて来たんだし、すぐに変わるわけないよね。費やした時間分くらいは掛かっても生きていこうくらいには捉えていたかも。

その割にはたった2年でよくぞここまで「図々しく」「わがままに」大変化出来たなと思う。
他人から見たら嫌なヤツになったかもしれないけど、周りの評価に振り回されて息が出来ないような生き方してた頃を思えば、たかだか他人に嫌われた程度であの頃の息苦しい自分に戻りたくはない。

子供はわたしにタイミングをくれた。
わたしはそのタイミングを逃さなかった。多分それだけ。
頭がキレるわけじゃないから、行動で変化させていく方が自分に向いていたってだけだと思う。

それに、大変化は遂げたけど、それってわたしが素晴らしい人間に達したとかそういう事でもない。
覚醒した部分はあるけど、それは普通に暮らして来た人たちが普通に持ち合わせてる感覚だし、しんどい暮らし方してきた自分にはそれが如何に素晴らしい事かがわかるだけ。
辛くてしんどくて誰か助けて〜って悲劇のヒロインのようにスポットを浴びて救われたかった自分が、スポットも当たらない平凡な村人その1になったということ。
そんな自分で良い、と居られる。

あちら側だのこちら側だの、手離すとか気づきとか、そういう感覚は正直よくわからない。
村人その1になれたことで、わたしはまだまだ好き勝手に楽しんで行けるわけね!と、これからの人生をより冒険的に捉えられる様にはなった。
わたしにとっての大変化は、その捉え方が出来る様になったってことで、他の人だってそれは出来るししているし。

だからわたしは、みんなに遅れてようやく人生の舞台に乗れただけ。
自分の為の喜怒哀楽は、なんて楽しいんだろう。

多分これからもたくさん苦しんだり失ったりするんだろうけど、それでもいいかなって思う。
うまく言えないけど、2年後のわたしはそういう気持ちになれた。
また2年後はどうなっているんだろう。
昔は未来なんか想像できなかったけど、今は楽しい。