おひさしぶりです。

更新は3か月ぶりくらいですかな。

4月から大学院が始まったのですが、授業の予習と復習に時間をとられて睡眠時間が4時間くらいです・・・・・

土日も基本的に勉強するので、これからも休みはとれそうにないですね。まぁ働いてる先輩方の話を聞けば大したことないと思えますけどね。
法律の勉強も、自分の論理的思考能力が成長していっているのを実感できるので、楽しいんですよね。

でも、でも、それでも
ストレスは半端ないです(笑) みんな頭良いし、授業では必ず一回は当てられますし、自分が本当に弁護士になれるのか?

夜もほとんど中途覚醒してしまいます。

薬の服用も増やしてしまいました。一番僕が僕を嫌いになる行為をしてしまいました。

それでも、首は震えて、カチカチで。「辛い」と一日に何回も思ってしまいます。
なんでこうなってしまうのか? こんなので自分の夢を叶えられるのか?



ハイ、いつも通りの鬱ブログですね(笑)

でも、今日はそういうことを書きたいのではないのです。

ストレスフルな東京の生活で、やっと気づいた気がするのです。

自分に欠けていた感情に。その欠落が自分を苦しめていることに。

自己肯定感。

僕はその感情が欠落していたと思います。多分ジストニアにり患したときから。
一度も現在の自分を認めてやったことがなかったと思います。

こんなはずじゃない。もっとやれるはずだ。翌日にはもっとマシな人間になってやる。
このように感じることが自分の成長に必須だと思っていた僕は、その反面として、現在の自分を常に嫌悪していました。

大切な人ととのひとときや、サークルでの打ち上げの時でさえ。入試合格の時も。
「もっと上手くやれるはずだ、だから今の俺を本当の俺と思わないでほしい。」

確かにこのような感情は僕に向上心を与えてくれましたが、心が満ちること許してくれなかったと思います。

いくら強くなっても、いつも上ばっかみて、常に不幸を感じていました。

だから、京都にいるときでしたが、後輩の「最近幸せですわ」という言葉には心底驚いたことを覚えています。

なぜなら、幸せをどうやって感じることができるのか忘れてしまっていて、「?」だったからです
今日の自分は明日の自分んよりは不十分な人間だ。だから「最近幸せ」なんて思えない。
さらに成長しなければいけないのだから。成長の余地があるのだから。そうしないと自分の望む人格は得ることはできないだろうから。幸せなんて、一定のレベルに達したときに感じるものだろう。


でも、東京では僕は本当に一人。僕を肯定してくれる家族・知人はいない。

挫折、挫折、挫折。

自分を嫌悪して、でも一人。誰にもこの感情を話せない。

じゃあ僕を 認めやるのは 肯定してやるのは自分しかいない。自分が認めてやらなければ力尽きてしまう。

薬は手放せないけど。上手くしゃべれないけど。知識も足りないけど。あがり症だけど。
首は痛いけど。

それでも俺は俺だ。 上は見るけど、ちゃんと足元も見て今の俺を誉めてやろう。
昔に比べれば色々,マシになっただろう。それは俺が努力した証だ。

まだ欲しいけど、足りないなんてことはない。今の俺が過去の俺が誠実に生きた結果なのだったら。

不十分じゅない。薬も飲むけど、それでも日常生活を送れるじゃないか。授業では緊張するけど、ほかの人と比べてしまうけど、でもこれが俺だから。俺が積み上げてきたものだから。
否定的に評価されるべきではない。

俺は十分に幸せだい。過去にすばらしい友が、彼女が、親が義務なく俺にしてくれたこと。そんな幸せに気づかず、現在を否定して不幸面ぶら下げるのは罰当たりなことだ。

与えてもらう人生ばかり、欲しがるばかりの人生は今日で終わり!

与える人生を始めよう。

そのために強くなろう。上を見上げよう。自分のためではなく、与えるために。






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