自分から望んでカトリックになりたいはずなのに、
大人のイヤらしさからか、つい、「イエス様なんていない」「マリア様の処女懐妊なんてありえない」
など、出るわ出るわ。屁理屈が。
子供のときは、ひたすらインプット。しかし、青年になると、やっぱりみんな、こういう屁理屈が当たり前に出るらしい。
そんな青年向けに 教本もあり、教育係の若手の神父様もいる。この前、若手に混じり 教育していただいた。
糞ブスは心の中で「なんで、作り話を真剣に勉強しなきゃいけないんだ」と思っていた。
それはなぜ?証拠がないから?科学的にありえないから?
確かにそうだ。たとえ「奇跡」だと、科学的に証明されようとも、ナニソレ ウサンクサイ。バカバカシイ。
でも、神父様が、「確かにあり得ないかもしれない。でも実際に信仰として存在している」とゆうようなことをおっしゃっていた。
そうか!!宗教は科学ではない。信仰なのだ。
私が言うところの 「胡散臭い、ありえない。馬鹿馬鹿しい。作り話」だという大人が多いんだとしたら
こんな建物は 胡散臭い、馬鹿な大人が建てたことになる?
神父様も胡散臭い人間になる?
馬鹿な大人は日本にも、世界中にもいる?
住職も馬鹿な大人?
信じなかったら信仰しなければいいだけ。趣味で教会に行き、遊びでお寺に行けばいいのだ。
信仰心が、本気か嘘かなんて、誰も気付かない。心は自由。
私は神父様の(かなりくだけた)話を聞いて やっと、心の中の 屁理屈な子鬼が いなくなった。
(▼∀▼)←サヨナラ。こんな子鬼。私は神様を信じるよ。
ほな!アーメン(∩´∀`∩)