絶対的悪魔 -7ページ目

絶対的悪魔

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シモ・ヘイヘは1905年、ロシアとフィンランドの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれた。
ヘイヘは猟師兼農民として働くごく普通の男だったが、彼には才能があった。それは「狙撃」という名の人を殺す才能だった。
1925年にフィンランド陸軍へ入隊し、1939年にフィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争において、シモ・ヘイヘはその恐ろしい才能を発揮した。
史上最多の505名を射殺するという驚異的な戦果(世界記録)を樹立し、ソビエト赤軍から「白い死神」と呼ばれ恐れられた。
※この記録は冬戦争開始から約100日間で残されており、1939年12月21日だけでも25名のソ連兵を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が138名に達したとされる。
冬戦争が勃発し、国力・兵力で大きく劣るフィンランド軍はコッラー地方に数本しかない道路を強固に防御し、ソ連軍に激しく抵抗した。
この冬戦争において、シモ・ヘイヘはフィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に配属され、故郷の町に近いコッラー川の周辺での防衛任務に就いた。
平均気温-20℃から-40℃という極寒の中、ヘイヘは純白のギリースーツ(狙撃手・ハンターが使用する迷彩服の一種)に身を包んで狙撃を行い、その活躍によって赤軍兵士から「白い死神」や「災いなす者」と呼ばれた。
コッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ソ連軍4000人に対し、ヘイヘ含むフィンランド軍はわずか32人と圧倒的な戦力差だったが、ヘイヘは「1人125人倒せば済むだけのことだ」と言ったという。その言葉通り、ヘイヘたちフィンランド軍はソ連兵を次々と狙撃し、見事拠点防衛に成功した。そして、この丘陵地は「殺戮の丘」と呼ばれた。
フィンランド軍は終戦までコッラー川付近の領土を守り抜き、この戦果は後に「コッラーの奇跡」と名付けられた。
※指揮官であるヨハン・ヴォルデマル・ヘグルンド少将とこの戦いで英雄となったアールネ・エドヴァルド・ユーティライネン中尉の会話が残されており、少将が「コッラーは持ちこたえるか?」と尋ねたのに対し、中尉は「コッラーは持ちこたえます、我々が退却を命じられない限り」と答えたという。


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